“放置” は「ホウチする」と言うことができる動作性名詞です。
“法治” は<法によって統治される>という状態を言う名詞ですが、とくに “法治国家” のような特定の語句と強いコロケーションをもち修飾語的に用いられます。
“報知” は “火災報知器” のような語句に現われる動作性名詞ですが、固有名詞で 報知新聞 の略称としても知られます。
“封地” は古く歴史上で 大名など権力者の領地を呼び、封建社会などとの関連語です。
これらの組み合わせで言えば、“封地” が一番特殊な単語で、利用場面が限られます。特殊な用語なので変更する必要性が薄いとも言えます。
対して法
と放
は “放送”vs“法曹”(ホウソウ)、報
と法
では “広報”vs“工法”(コウホウ) でそれぞれ衝突があり、放
と報
は “開放”vs“会報”(カイホウ) で衝突していますから、つまり「ホウ」という読みにはどれかに別の読みを与えるメリットがあるということです。
後ろの置
・治
・地
・知
を読み替えることも考えられます。これらの字の読み「チ」は、“治験”vs“知見”vs“地検”、 “接地”vs“設置”、 “検知”vs“見地”、 “統治”vs“当地”vs“倒置” などいくつか衝突しています。
封
の字は現代においては “封入”(フウニュウ) “開封”(カイフウ) “封印”(フウイン) “同封”(ドウフウ) など基本的に呉音の「フウ」としか読みません。「ホウ」と読むのはごく限られた古い語句に限られます。
封
の左側の圭
の偏は「ケイ」と読む鮭
や桂
などとは異なり丰
が起源で、邦
や峰
と音や意味を共通して持ちます。現在は字形が異なるので 読みが違ってもあまり違和感はないかもしれませんが、他との整合性で言えば「ホウ」の読みのほうが より適切とも言えます。
報
の字には𠬝
のつくりを伴う幸
の へんがありますが、この部分は元は㚔
という手枷(てかせ) を表すもので、㚔
と𠬝
が合わさることで 罪人の手や体を縛って捕らえた姿を表す会意文字です。“報いる”(むくいる)とか “報復”(ほうふく) のような言葉も有りますが、元来は強権をもって人民を服従させるような意味を持っています。夭
と屰
という組み合わせ(死に、逆らう)からなる幸
とは別の意味です。
この字には 日本語では「ホウ」の読みだけしかなく、読み替えが効きません。中国語を頼ると「パオ↘︎」(bao4) の読みがありますから、ちかいところで「ハオ」「ファウ」「パウ」など考えられます。
放
もやはり日本語だと「ホウ」の読みしかありません。中国普通話から「ファン」か広東語「フォン」あたりから借りてくる事が考えられます。音符に方
を持つ形声字であり、あまり大きく音を変えるのは好ましくないと考えられます。
放
には訓読みで「はなつ」の読みもあります。「はなつ」は「はなす」つまり “離す” と語源が同じで、 “放す” と書いて「はなす」と読むこともできます。「はなす (hanas)」が han+ 使役 as (ァス) なのだとすると、「はなつ (hanatu)」は han + atu であり、同じパターンの単語には “断つ” “分かつ” “勝つ” “待つ” “穿つ” など少数です
「はなつ」「はなす」は万葉集あたりからある原始的な語であり、「ハン (han)」という距離感を示す接頭語に、一種の 力み のようなものを表現する動作 atu または そうさせる as のどちらかが付いています。つまり、放
という字の語感の指すところは和語においても同じく「ハン」あるいは ハ行の上代の発音「ファン」に込められていることが うかがえます。
“法治” の法
は氵
のついた去
(キョ)ですが、これも「ホウ」とは音が異なります。この字は灋
の略体とされ、直接には音も意味も示していません。廌
というヤギ(山羊)かヒツジ(羊)に似た獣を水際に追い込む様子を指すと言います。
法
の字は “法被”(ハッピ) “法度”(ハット)などのように「ハッ」や “法華宗”(ホッケシュウ)の「ホッ」の読みがあります。「ハッ」は発
と紛らわしいですが、「ホッ」のほうは比較的安全に使用できます。
コの字の複数の読みは、もともと平安時代なら fap つまり今のカナ表記では「ファㇷ゚」のような音のハ行転呼と入声からなるもので、「ファ」とか「プ」の表記のない古代には使えなかったことが 揺らぎの出どころにあり、現在の「ホウ」の読みに正統性が薄いということでもあります。
治
・地
についてはそれぞれ「ジ」の読みがあり読み替え可能です。
置
の字については網を意味する罒
(あみがしら) に直
の付いた字で、形声字です。直
は日本語だと「チョク」と読みますが、これは中国普通話では「ツㇶ↗︎」(zhi2)のようになり、置
と同じ読みがあります。
逆に言えば置
に「チョク」の読みをあてたり近づける事が考えられるということです。「チョク」には勅
や捗
がありますが数は少なく、「チ」に恥
値
地
池
稚
致
緻
遅
など多数あるのに比べればかなり少ないです。
理科で “水上置換” などの語で使われる “置換”と“痴漢” を区別したりできますが、“直感” “直観” などと重なってしまったりしますから そのまま素直には 適用しづらいものがあります。
近いところでは「チク」などがあります。これに重なるのは竹
築
畜
逐
蓄
があります。「ホウチク」だと “放逐” 、「ホウチョク」だと “奉勅” などと重なりますが、濁点を付けた「ホウジョク」「ホウジキ」「ホウヂョク」「ホウヂク」あたりだと衝突なく使用できます。
地
は漢音「チ」、呉音「ジ」ですが、この「ジ」という表記は 歴史的仮名遣いから 現代仮名遣いへと改定の過程で「ヂ」から変更されたものです。しかし、仮に “封地” のような古い語句なら地
には古い「ヂ」が適用されるべきではないかという見方も出てきます。
「ジ」と「ヂ」の発音が同じであるという考えは昭和以前の何百年も前から混用がありますが、平成以降の現代にはローマ字入力が広がったことでジ
は zi、ヂ
は di という異なる打ち方がされ、発音も違うとの理解もありえます。
呉音とは日本の封建時代よりも前のことであるから漢音で良いのだとも言えますが、「密封する」「同封する」などと近世の単語で「フウ」の方が用いられることからすれば、むしろ「ホウ」の方が古いようにも聞こえ、整合的ではありません。
入力の都合で言えば、「フウチ」「フウヂ」「ホウヂ」でもいづれも衝突は起こしませんから問題ありません。読みやすさを取るなら「フウチ」、歴史的な重みや意味の特異性を出すなら「ホウヂ」が最も強いというところでしょう。