医療的観点で考える日本語

近年におけるコンピュータの発達、特に携帯電話やスマートフォンの登場は、医療と県の分野にも大きく影響しています。

  • フィットネス支援
  • 予防・予測システム
  • 障碍しょうがい者向け生活支援

1つめに挙げられるのはフィットネス分野で、健康な体づくりの一環として電子機器が使われるものです。

これは古くは万歩計に始まるものですが、いまは携帯に組み込まれたGPSや重力センサーを利用して歩行か自転車かを判断したり、アラームやタイマーなどと連動して睡眠時間を割り出したり、また他の機器と組み合わせること心拍・血圧・血中酸素・体温などなど非常に多くのことを記録 監視できるようになっています。

2つめの予防の分野とも関わってきますが、統計的な他の人のデータを活用することで、何らかの病気の予兆を見つけ出したりすることもあります。

腕時計など身につけるタイプのウェアラブル端末では、人が転倒するなどショックを感知したり、また水の音を聞き分けて手を洗った回数なども割り出せると言います。

デジタルディバイド

こういった電子機器全般に言えることは、特に健康面でのサポートが必要になることが多い高齢者との間での親和性が問題になります。

一般にスマートフォンは海外製のものが多く、またOS(基本ソフトウェア)としてはアメリカのAppleかGoogleがほとんどであり、しっかり使いこなすためにはカタカナ語を適切に理解することが必要になります。

若年層では さほど問題にならないことでも高齢者が相手となると、ちょっとした単語がハードルを上げます。

たとえば「利用者」を「ユーザー」とか、「口座」が「アカウント」とか、「記入」を「インプット」とか、「提供会社」を「プロバイダー」とか、何にしても昔は全て漢字で書いていたものが 軒並にカタカナ化しているのは、ある程度 英単語の語感に慣れているかどうかで理解の速さが変わります。

ソフトを提供する側の論理で言えば、日本で販売する製品とは言え 下手に日本語訳すると、意味に微妙なズレを起こしてしまうことがあるため、あまりやりたくないことです。

「アカウント」を「口座」というと銀行口座などを思い浮かべがちですし、「ログイン」なども「入室」とか「入場」というとこれも わずかにニュアンスが異なり、具体的に何をすればいいのかイメージが崩れます。

また「URL」とか「ID」、「HTTP」「SSL」のように、英語の頭文字を取ったワードも多くあります。U-Rと来て Universal-Resource だとしてもUrban Residenceなのか分からず、英語の略語は漢字熟語の方がよほど意味が分かりやすいのですが、いちいち日本語に訳されることは まずありません。

理由はともかくこうして日本人は、電子機器との間に壁があると言われ、特に専業主婦で仕事などパソコンの利用経験が浅い高齢女性や、いわゆる横文字を敬遠する層には敷居が高いものとなっています。

こういった電子機器との付き合い方が、特に生活習慣病などを考える上で重要な要素となり得ます。もちろん電子機器が生活に悪影響を与えたりトラブルの種となるケースもありますが、そのような副作用についても各社 予防の仕組みを提供しています。

正しい使い方というものを理解する上でも、このカタカナ語やアルファベットをどのように整理していくかということは重要な意味を持ちます。

障碍と電子機器

電子機器技術の進歩は 障碍を持つ人の生活をも大きく変えています。

言語の分野で分かりやすいのは、視覚・聴覚・発音障碍です。

目が見えない(見えづらい)場合、聴覚や触覚に頼る必要がありますが、スマートフォンでは例えばカメラを使って撮影した文字を読み上げてくれるシステムや、バイブレーション(振動)を使って何らかの呼び出しをすることができます。

メモや掲示のように、発信側と受信側が時間差で情報を受け渡しするには、以前は点字が必要でした。しかし一般の人全員が点字を使えるわけでは無いので、その技術を習得しなければなりませんが、メールなどで送った上で音声読み上げを使用したり、最初からボイスメッセージで送ることもできます。

接続することで点字を浮かび上がらせることができる装置もあります。

AppleのSiri、Google Assistant、Microsoft Cortana、Amazon Alexaなど、音声によって命令を聞き取り稼働する装置も多くあり、常に手で持っていなくても機能を呼び出すこともできます。

聴覚に難がある場合、軽度の場合は補聴器などを使って対応可能ですが、重い場合は 視覚に頼ることになります。

この場合 音声での会話ができなかったり、呼びかけやアナウンスに応答ができないことになります。

身内や専門の人は手話を使って会話をすることが可能ですが、それを知らない相手ではそうもいきません。

その場合には筆談を使えば会話が可能なのですが、ここで日本語が持つ、画数が多くて書くのが難しい漢字の存在が障壁になることがあります。

その場合にスマートフォンのような機器では、入力途中で予測変換を行ったり、入力を間違えた場合に取り消すのも速く行えるため、手書きによる筆談よりもスピーディに複雑なメッセージのやりとりが可能です。

入力の改善

上記の様に、人の健康や身体の不自由の軽減という面で、電子機器 とくにスマートフォンの存在は多くの働きがあります。

ここでやはり重要になってくるのが、日本語という言語のあり方そのものです。

海外から来たソフトであるがゆえに必然的にそこには多くの外来語が含まれており、この外来語をうまく読み書きできることは装置を操る能力に直結します。

人は皆いづれ老化するのであり、耳や目が見えなくなったり、手指を機敏に動作させることが難しくなります。

したがって、何らかの身体機能に問題があっても扱いやすい入力機能というものは欠かせません。

ここで、今 日本語 言語そのものの機能に立ち返って考えたとき、最適な状態とは言いがたいものがあります。

現在問題となっているもののひとつは点字です。点字では数字や英字には数符・外字符という記号を使ってモード変更することができますが、肝心の日本語は基本的にはカナに全て置き換えることになります。

同音異義語の整理が十分でない日本語は、カナに置き換えると意味が伝わりにくくなるという欠陥があります。漢字の使用を前提としない点字の世界では機械的に元の文章を直訳しただけでは非常に分かりにくい文章になるといいます。

特に高齢になってから視力を失うと、老化によって点字の学習そのものが難しいことに加え、文字として読んでもその意味の解釈に苦しむという二重の負担があります。

また入力に際しては、これは仮に音声入力で装置を操作しようにも、機械が違う言葉を認識して誤動作をする可能性があります。

目で文字を確認できない人にとって、漢字変換を正しくしなければ意味が誤って伝わる日本語というのは非常に厄介なものです。「行ってください」と「言ってください」は意味が違いますが声にすると区別できません。

とくに生まれつきや、かなり幼い頃に目の障碍を負った場合、そもそも漢字が異なるという概念が認識できません。

「服を切る」と「服を着る」は同じ言葉であり区別できず、反対に音の違う「切る」と「切断のセツ」が同じ意味であるということも、漢字の概念がわからないことには理解できません。

カタカナ語と漢字の違いも同様に区別がつきません。したがって「ケーキがある」と「刑期がある」も同じです。(ケイキの「イ」を「エ」と区別して発音しない限り)

テキスト入力でメッセージをやり取りする場合、漢字変換を間違ってしまうと、正しく情報が伝わらなくなります。

漢字が違うとWeb検索でも正しい検索結果が得られず、必要な情報に辿り着けないことがあります。

そもそも漢字が難しすぎて読めないものもあります。地名や人名は特にその傾向が強く、読めない漢字をコンピュータから漢字変換で入力するのは大変面倒です。

この地名が分からない問題は災害時の避難場所の案内や救援物資の配達など、別の部分での影響も心配されます。特に災害時は、電力や通信網がストップしている可能性があり、それらに頼ることができるとは限りません。ですから「検索すればすぐわかる」は通用しません。

そのほか目や耳に異常はなくても、ディスレクシアと呼ばれる文字をうまく認識できないような人もいます。この場合、同じ文字なのに違う読み方をする多読訓や 当て字などは正しく読まれない場合があり、さらに音声上で同じなのに意味が異なる同音語は 正しく読み取らせても取り違いが生じ、アクセシビリティ上の問題と考えられます。この場合は 読み取りだけでなく 簡単な言葉に言い換えをしたり、さらに分かりやすさが求められます。

このように、今自分が健康で、何の不自由もない状況下でだけ日本語を考えていると、いざ問題に直面した時に大きな損失を被るかもしれません。

このような問題は、日本語を積極的に使う日本人しか体験しない問題であり、その上に身体に問題が生じるのは多くは高齢者ですから、日本語とその入力システムの不備について正確に問題点を届けられるのは極めて稀有です。

日本では2060年ごろに高齢者割合がピークとなり、人口の4割が高齢者、1割は未成年となる見込みです。それを支える介護や学習支援、障碍者支援の現場の負担は日本国内社会で非常に大きなウェイトを占めるようになります。

高齢者らの自活能力を高め、負担を軽減することは、身近にそういう人がいなくても税負担など間接的に日本人全ての生活の質にも影響することです。

近年の電子機器の発達は大変目覚ましいものですが、日本語環境の整備があってこそより良い効果が期待できるというもので、できるだけ早期から取り組むべき課題と言えるのでは無いでしょうか。