アクセントの迷宮

言語の特性の中で、特に音声で文字情報にない重要な要素は次のようなものが挙げられます。

  • 高低 音の高さ
  • 強弱 音の大きさ
  • 緩急 音の速さ

高低とはドレミファソラシドのドをレにするように、声帯を緊張させて音の高さを少し上げるということです。強弱は口から出す空気の量を多くして音量を上げます。緩急は音を伸ばしたり早口か、間のとり方を意味します。

一般にアクセントというと強弱と高低の両方をまとめて抑揚とも呼んだりしますが、技法としては異なっています。日本語では主に高低アクセントが用いられ、強弱はあまり明確には使用されません。

この高低は、たとえば同音語の衝突回避に使用されます。これらは特に単語や文節のレベルで用いられます。

「あめ」にはがありますが 「あ↗︎め」か「あ↘︎め」か、どこを高く読むかで区別されます。「はし」はの3つがありますが、「は↘︎し」「は↗︎し」「は→し」のように高低 低高 高高 の組み合わせで区別が可能です。

他にたとえば「そうですか」という簡単な言葉でも「そうですか↗︎」と語尾を高くすると疑問文になります。近代的な日本語では「そうですか?」と記号で区別して書かれることがあります。このルールは日本語に限らず 多くの外国語にも共通しています。

焦点づけ

日本語のアクセントの付け方を考える際に、分類の仕方は一律ではないですが、比較的理解しやすいものとして 焦点が挙げられます。

焦点とはつまりフォーカスのことで、文章全体のどこを主としているかということです。

「それはすごいですね」のような文で「すごい」を強調すると単純な賞賛ですが、「それは」を強調すると「そこだけは」という意味合いに変わり、他の部分に問題がある ということを示す否定的な文章へと変わります。

「私はやっていません」という文でも、「私は やっていません・・」のように後ろを強調するか、「私 やっていません」と「は」を強調するかで、主問題が変わります。前者は “何もしていない”という行動の否定ですが、後者は “自分ではないが、他の誰かがやったのは確かだ” ということを ほのめかしています。

このようにアクセントの置き方は、使い方によっては発言の主張を変えてしまう力を持っています。

日本語の国語としての教育の中では どちらかというと文の読解に力点が置かれ、発音や発声に関する部分は後回しの傾向があります。

アクセント辞典 と呼ばれるようなものも NHKや三省堂などいくつか販売はされていますが、多くはアナウンサーや発声を仕事とする人のための専門的なもので、学校の国語の授業などでは使用されません。英語や他の授業で用いる辞書にはきっちりアクセントが記載されていて、試験問題にもなるにもかかわらずです。

文字は紙に残すことができ、教科書として配布・販売ができて多くの人が検証しやすいものですが、音声の場合はそれを確認するのは専用の機器が必要になり、配布するには手間がかかるということもあるでしょう。

21世紀になってようやく何度コピーしても劣化しない音声の記録方法が確立されましたが、それでもなかなかこの問題は簡単に解決はできていません。

地域差

アクセントの問題を難しくしているものの1つが地域差、つまり方言です。

のどちらを 「あ↗︎め」(低起式・上昇性) か「あ↘︎め」(高起式・下降性)かは 全国一律ではありません。

同じ「かえる」でも「玉子が買える」と「卵が孵る」は随分意味が違いますが、これは「孵る」を 「か↘︎える」 と読むか、「か↗︎え↘︎る」 とするかがあります。

また複雑な事に、アクセントにある高低・強弱・緩急の取り方の組み合わせ方のルールが方言でそれぞれ使われ方が違います。

京都大阪(京阪地方)や そこに出入りする周辺地域ではよく 手(て)・目(め)・毛(け)・根(ね) のような1文字の単語はそれぞれ「てえ」や「めえ」のように音を伸ばして使われます。これは古語の日本語で「〜が」「〜は」「〜を」のような助詞が未整備だった時代の名残とも解されますが、(め)に対して(ね)に対してのような、1文字での同音語を はっきりと高低アクセントを使って区別可能であるという特性があります。

「根が張る」と「値が張る」ではそれぞれ植物などの成長と、価格が高いということをそれぞれ示しますが、前者では「ねえが張る」と伸ばしても「が張る」は伸ばさないというような近代的な助詞の用法の影響を受けつつも独自の進化をしています。

他にも 「水」を「お水」と丁寧語にするときや、「子供」が「子供服」になる複合語化、「出る」が「出られる」と可能動詞や受け身となるとき、活用や応用によって生じるアクセントの移動の法則も地方によって独自のルールが色々とあります。

地方差は特に日本語を母語としない外国人労働者にとっては強敵です。

日本語学校などで学習する日本語は基本的に標準語で、方言は あまり教えられません。日本語検定など学校の目標設定として使われる物差しも基本的に標準語というアンチローカルな技能を測るもので、実生活を目指してはいません。

このため会話で対人コミュニケーションを要する職についても、相手の話す内容が聞き取れずにうまく対応できないという状況が生じます。

従業員同士ならお互い協力することは可能でも、飲食店のような直接一般の客と接するような場合、「言ってることがわかりません。標準語で話してください」などと催促するわけにもいきません。

この地方言語にかかる負担は、日本語を学ぶ学習者にさせるか、客の方がするのか、お互いの綱引きです。ですが、学習者の方に全て負担をさせる選択が良いこととは言えません。彼らからすれば、学習コストが高く、覚えても現場で実用できず未整備で面倒な日本語よりも他に、英語や中国語などもっと世界に通用する言語を学んで別の国に行こうという選択肢も当然あるからです。

音声入力

音声は、単に人と人とが直接会話するためだけでなく、コンピューターなどを操作する際にも役に立ちます。

昔の機械では精度が実現されず、カーナビなど特定の場面を限定した検索システムでのみ使用されていましたが、近年ではパソコンやスマートフォンでの入力や、スマートスピーカーやスマートウォッチなどその他の機器にも波及してきています。

音声解析にはコンピューターの高い計算能力が必要ですが、機器の高性能化に加え、インターネットで通信する事で大型コンピューターの性能を小さな端末で引き出すことも容易になったことが挙げられます。

この音声入力は今後使用場面が多くなることは間違いありません。手で入力が困難な場所というのはたくさんあります。手で何か別の操作をしていたり、衛生上の観点で機器に触るべきでない場面もあるでしょうし、そもそも手を怪我しているなど自由に動かせない人もいます。

音声聞き取り規格

発音が日本語において混乱している状況は、今後を考えるときには難しいものがあります。

車の自動運転で音声入力を使って「ハシに行ってくれ」と命令したときに、道路の端に寄るだけなのか、近くの橋に移動するのか、間違って解釈されれば困った事になります。

車が製造されるタイミングにはそれが日本のどこで使用されるかわかりませんし、運転手がどこの出身かもわかりません。

このような不便を解決するには、方言を全て消してアクセントを全て統一されれば問題は無くなりますが、しかしそれを強制すれば全国各地で反対者が出ることも必至です。

とはいえこれを放置すると、結局日本語は不便だということで、だんだんと日本語離れが進む可能性も考えられます。それはちょうどスマホに向かって「Hey Siri!」とか「OK Google」と呼びかける人々がだんだん増えているように、気づかないうちにです。

機械操作に関して1つの考え方としては、いくつかの規格を用意し、モードを選択可能とする事です。パソコンのキーボードでは JISなどの規格が存在し、別のものを接続しても設定から規格を選択する事で正しく認識されます。

音声の入力に関しても、今後何らかの規格が必要になってくる事でしょう。でないと、A社の車に乗った人がB社に乗り換え、同じ命令をして違う動きをされると、トラブルになる可能性があるからです。

もしかするとこの規格の中に、日本語(東:Ja-jpe)、日本語(西:Ja-jpw)、日本語(北:Ja-jn)、日本語(南:Ja-js)のようにして、地方言語を整理しつつも活かすという選択もあるかもしれません。一度 身に染み付いた方言を 覚え直すのは かなり長期のトレーニングが必要になり、すぐに使えないからです。

文系が主の日本語研究の分野で、理系的な立場で規格を作り始めれば、そこには曖昧さを排除した正確な日本語というものが浮かび上がるかもしれません。

付け入る隙のない合理的な日本語音声の規格ができたとき、国語へとフィードバックしていくことで整理を進めることができるかもしれません。