ローマ字の害

ヘボン式・訓令式・ローマ字入力方式

日本語のローマ字書きは 大別して ヘボン式日本式の2つがあります。

訓令式は後者の日本式を、1937年に内閣訓令として正式に発令したもので、日本語の五十音のルールに基づいて規定されています。

ヘボン式はそれよりもっと歴史が古く、1800年代に日本に現れたヘボン(J.C Hepburn)博士によるものがルーツとされます。また現在パスポートに書く記法を定めた外務省ルールもこれに準じています。

サ行、タ行 で差が大きくあり、
日本式でサシスセソは sa, si, su, se, so とするところを
ヘボン式では sa, shi, su, se, so、
日本式でタチツテトは ta, ti, tu, te, to を
ヘボン式で ta, chi, tsu, te, to と書きます。

また濁点のついた
za, zi, zu, ze, zo は za, ji, zu, ze, zo 、
da, di(zi), du(zu), de, do は da, ji, zu, de, do のように、
一つの行に対して子音となる先頭の文字が複雑に入れ替わるのがヘボン式の特徴です。

他にも hu と fu、 zyu と jyu と ju などいくつかのバリエーションが見られます。

もうひとつ“ローマ字入力方式”というのは、主にパソコンの普及とともに広がったもので“ワープロ式”とも呼ばれます。これは上記のヘボン式・日本式を拡張し、少ないキーボードのキーで全てのカナを入力可能にしたものです。

は shi、si いづれでも入力でき、また特に などが特徴的で は日本式の di、に対しては古典的な発音とワ行を意識したwo、は独自の xyu または lu 、は nn とするなど、日本式をベースとしつつも拗音、促音など単独で表記不能な文字について特殊ルールが加えられたものです。

コンピュータが多く普及した結果、ヘボン式・訓令式よりもローマ字入力式のほうが日常的なものになっている人もいて、かなり混乱した状況であると言えます。

ローマ字とセキュリティ

複数の記法が存在することは、多様性という観点では全く自由で構わないのですが、利便性と加えてセキュリティの観点からはあまり好ましいものではありません。

例えば “津田” という知り合いがいて、メールアドレスを電話など口頭で聞いたとします。

このとき音声で聞いたメールアドレスが「つだアットなんとかどっとこむ」だとしたら、 tuda@nantoka.com か tsuda@nantoka.com の同じ音で二つ存在することになります。

「つだ」なら2つですが「つしま」ならtsusima, tsushima, tusima, tushima 、「しょうじ」なら shouji, syouzi, syouji, shoji, syozi,… など、もっと組み合わせが多くなるケースもあり、伝え間違いや入力間違いのミスや、確認の手間を余計に必要とします。

もしスペルが間違っていることに気づかないままで登録し、何か送ってしまえば、単にエラーで届かないだけなら良いですが、場合によっては情報漏洩のリスクがあります。

その他メールに限らず、ローマ字の分かり難さを利用して、悪意を持った何者かが本人になりすまして第三者に対して発信を行なうことが可能です。

具体的な例でいうと 河野太郎(konotaro)氏のふりをしてwww.tarou.org (正しくは www.taro.org ) のようなインターネット・ドメインを取得したりされる可能性があります。

取得したドメインは迷惑メールをばらまいたり、フィッシング(詐欺)サイトに誘導して勝手に寄付を募ったり、フェイクニュースを流すなど犯罪行為に使用可能です。

安倍晋三なら shinzo, sinzo, shinzou, sinzou とありますし、
小泉進次郎なら shinziro,sinzirou,sinjiro,sinzirou … などと かなり多くの 組み合わせがあります。

もちろん人名に限らず、三菱(mitsubishi)と見せかけて mitubisi、mitsubisi など、企業名や公共機関などを装って、別の文字で登録が可能だということになります。

このように、一見してどちらが正しい記述なのか判断できない複数の記法が存在することは、受信者・閲覧者を騙す詐欺犯罪、情報撹乱に使用される可能性があり、安全保障・セキュリティ上の問題となりうるということです。

上記の観点で言えば、どれかひとつを正として他は誤(または俗語)として規定した上で、それを利用者が容易に判断できるように辞書を整備し、大人も子供もふくめて教育や注意喚起していくことが求められるということです。

翻字か翻訳か

翻字とは、ある文字を別の文字に置き換えて書くことを言い、日本語ではローマ字と同じ操作を指すことが多いです。

特にコンピュータ(電文)の世界では、例えばメールアドレスやSNSなど各種システムのIDなど、日本語の文字を使用できない箇所でよく用いられます。

一方翻訳はどうかと言うと、他言語の読者に対して、日本語の意味を伝えることを目的としています。

このあたり中途半端なのは地名で、例えば英語圏読者に「千葉」を伝える場合であれば “Chiba” となります。

目的が翻字ならば、“Chiba” ではなく “Tiba” で良く、そうした方が文字数が少なく書きやすく、日本語の五十音法を正確に示していてシンプルです。

ヘボン式は外国人に読みやすい?

ヘボン式のChibaは、英語圏で読みやすいのだという説があります。

ですが実際のところ怪しいものがあります。たとえば 似た つづりで“China”というのがありますが、こちらは「チャイナ」と読みます。i長母音化「イ」から「アイ」に変わったものですが、同じルールを適用すると“Chiba”は「チャイバ」と読むことになります。

結局TiChiのどちらを使うにしても、日本流のスペリングを知らなければ正しく発音することはできません。

同様に、島根の“Shimane” は「シャイメイン」かもしれませんし、栃木の“Tochigi”は「トゥチャイギ」に見えるかもしれません。

ヘボン式ローマ字という 英語っぽい日本語 を学んで初めて読めるのです。

また Chiという綴りはドイツ語や他の言語では「キ」や「ヒ」と読まれることから、英語にだけ偏っていると言う見方もあります。j なども元は i+y の合わさった文字であり、“ja” は「ジャ」ではなく「ヤ」のように発音するものもあります。

英製和語

地名として少し違うもので、例えば「日本」という単語はどうでしょう。

日本人自身が使う発音は「ニホン」または「ニッポン」です。

発音重視なら “Nihon” または “Nippon” と書くべきですが、ほとんど多くの国際的な場面では “Japan” と表記されるでしょう。略号としても “JPN“ や “JP” が用いられ、”NH” とか “NP” ではありません。これは翻字の範囲からは全く逸脱しています。

ハングルなら 일본 (イルボン) と書きます。これは漢字の「日本」を韓国語読みし、さらにその読みの発音に合わせてハングルを割り当てたからです。

アラビア語にすると اليابان (alyaban) となるそうです。ここでもニホンの発音とは異なっています。

「日本」を仮に「じっぽん」と読むなら、まだJapanに近いです。
つまり「日本」の発音が じっぽんにっぽんにほん へ変化したか、反対に読みがにちほん じっぽん など まちがって伝わったのかどちらかなのでしょう。

この辺り、呉音漢音という日本国内でも漢字の読みに揺れがあり、比較的新しいものとされる漢音のじつと より古い呉音のにちの、一概にどちらが正しいとは断言できない部分もありますが、いずれにしても日本語で読む発音は捨てられてしまっています。

録音設備のなかった古代に、人々が正確に音を伝えることができず、文字面や誤った発音が世界各国で浸透し、それが現代でもまだ生き残っているものと考えられます。

外国の観光客などを対象として日本の地名を説明する際には、各国語の話者に対して読みやすくする配慮は必要でしょう。そうすることで正確な発音が伝わり、聞いた日本人の方も言っていることが聞き取りやすいはずです。

しかし日本人が日本の読者を対象として、あるいは単に区別を目的として、システム上の制約によりアルファベットを使用せざるを得ないケースにおいて、敢えて英語式の記法を用いるべき理由はありません。

“ち”をchi、”し”をshiと書くと印刷物なら紙面を、コンピュータであればデータ容量を1文字分多く消費します。書く時間も無駄です。

翻字と翻訳は相当混乱しており、これは学校教育で訓令式ローマ字よりも後に英語教育を行ってきた過去と深い関係があると考えられます。

かつてから小学校教育ではローマ字として訓令式が教えられ、あとから中学生になって英語指導が行われてきたことから、訓令式ローマ字は学習の過渡期的なもの、拙いものという認識が組成されていると考えられます。

このせいか国内で使用されるローマ字では その必要性の有無にかかわらず、ヘボン式が使用される割合が多く見られます。

破壊的ローマ字

地震は「じしん」か「ぢしん」か

 “じ” と “ぢ” は日本語においては別の文字です。

ローマ字入力で を入力するにはdiと入力し、対しては zi (または ji )と入力します。しかし訓令式やヘボン式は あくまで発音に即しているため、どちらも zi (または ji ) と書くことになっています。

ほとんど多くの日本語ではその発音の近さから「ぢ」は「じ」と区別されず、濁る前の意にかかわらず「じ」を使うことがほとんどです。よって「ぢ = di 」ではなく「ぢ = zi」とすることには一定の合理性があります。

しかし、日本人の人名の中には「山地」(やまぢ) とか「米地」(よねぢ) など、読み仮名に「ぢ」を含む場合があります。すべてを zi に置き換えてしまうと、元の読みを破壊することになります。

そもそも日本語において「じ」と「ぢ」の発音を区別しないというのが問題ではあるのですが、ローマ字において同じ書き方をするというのは、この区別を曖昧にする点において問題をより厄介にしています。

di の記述は 英語の発音では 「ディ」のカタカナ表記が当てられます。

英語で好まないという意味で dislike という語句が使われますが、これに対するカタカナ語で「disる」→「ディスる」という記法が使われることがあります。

di = ディ とする英語的記法をローマ字として採用するわけには行きません。

同様に、に ついても言えます。と合わせて四つ仮名よつがななどとも呼ばれますが、この問題は結局のところタ行の混乱を解消するしか方法がありません。

他にもヘボン式・訓令式ではo、また「こんにちは」のhaではなくwaと書くという決まりがあります。これはカナの側の問題とも考えられますが、字音一致の原則がカナとローマ字でウェイトが逆転していることに起因します。

長音の取り扱い

ローマ字化して元の読みがおかしくなるケースの一つに、長音の扱いがあります。

たとえば 「ゆうき」という単語あるいは人名は、ヘボン式や訓令式によると yûki となります。
ところがアクセントが使えない箇所では それを翻字して yu-ki と記載します。
さらにハイフンも使用不可となるとyuki となります。

yuki となってしまった場合、もはやユウキなのかユキなのか区別がつきません。

日本では一般に、ユキという名は女性の名として使用されることが多いです。男性のユウキさんをユキと呼んで あまり喜ばれることはありません。

似たようなケースは他にも たくさんあります。

「もうり」(毛利)は Mori ですが「もり」という別人になってしまいます。
「おおの」(大野)は Ono で「小野おの」さんと区別がつきません。
「ゆうた」を Yuta とすれば「ユタ」となりどこか別の国のようですし、
「しいな」(椎名)が Shina だと「シナ」となり なんだか隣の大陸のようです。
「しょうた」は Shotaとなり「ショタ」となって何かの隠語のようです。

もちろんこの問題は、反対のケースもそうで、すなわち何の変哲へんてつも無い解釈を困難にします。

戸田とだ」さんは Toda となるのですが、日本語を知らない人がローマ字を見た場合「もしかしたらとおだ という名前かもしれない」と余計な推測が必要になります。「池田いけだ」を意味する Ikeda だったとしても「ひょっとしたらいいけだ さんかもしれない」というありもしない名前を考慮してその人名の存在の有無を確認しなければ ひらがなで 書くことさえできません。

このような復元ができない問題をクリアにするためにはワープロ式を取り入れるか、または それをさらに整理した 99式ローマ字 という別の方式が望ましいのですが、これらはいずれも公的な規格としては使用されていません。

早期再整備を

現在のローマ字は多くの問題を抱えています。

システム上の制約とグローバル化の都合から、ローマ字を使わなければならない局面は今後ますます増えることでしょう。

日本人の名前として漢字が旧字体のまま多く使われるのと同様に、いちど使い始めたローマ字を変更するのには苦痛を伴います。

ある日、Shimada(島田)さんにSimadaと書くように言ったり、Tsuda(津田)さんにTuda と書くように言ったり変更を要求すれば嫌がる可能性は高いのです。

メールアドレスや名刺や様々なデータの再構築をしなければならないコストが発生する可能性もあります。

なるべく早期のうちに正しい あり方を規定しなければ、データが大増殖を起こして問題解決は さらに難しくなるでしょう。