漢字の簡略化

旧字体・異体字

漢字は難しすぎるという考えは古くからあり、日本では19〜20世紀の頃に大規模な漢字制限運動がありました。

特に第二次世界大戦敗戦のあとは列強国に負けたショックもあってか、当時流通していた複数の字体が整理され、簡便で多くの人が読めるものが定められました。これを新字体と呼びます。

その反対に、それまで使われていたものの使用が避けられるようになったものを旧字体と呼びます。

比較的よく知られるもので例えば “学校”(がっこう) は “學校” 、 “会社“(かいしゃ) は “會社“ などがあります。伝統の長い学校の歴史を調べれば「明治〇〇年 〇〇尋常中學校開校」など記載が見つかることがあります。“會社” も同様です。

この旧字体は、中国語の字体の1つの繁体字に共通のものが多くあります。中国の本土では という風に日本とは別の方法で簡略化を施した簡体字が用いられますが、台湾などではこの繁体字が用いられます。そちらの地域と関わりがあれば目にしている方もいることでしょう。

それ以外にも、日本人の人名の中でも時々旧字体が使用されている人がいます。濱田・櫻井・國府田など見かけたことがあるかもしれません。の旧字体 なども人名で時々顔を出します。

複雑な旧字体は日本行政やシステムのデジタル化にとっても長らく障害となってきたものでもあり、普段は扱いやすい新字体ののほうの文字を使うことを好む人もいますが、近年は旧字体も簡単に変換で出せるようになってきたこともあってか、旧字体を好んで使う向きもあるようです。

人名漢字・人名文字

日本人が人名を命名し、行政に届け出る手続きは戸籍法に定められています。戸籍法では「子の名には、常用平易な文字を用いなければならない」との記載があり、ひらがな・カタカナに加えて常用漢字と この人名用漢字が使用できます。

常用漢字は約2100あまりの文字とその読みから構成されますが、それ以外にも日本人の人名には1000ほどの文字が追加で認められています。

常用漢字もそうですが、人名漢字もその時々に改訂が施されていて、常用漢字に含められた文字と重複した際を除いては基本的に文字がどんどん追加される傾向があります。

自分の子供に個性的な文字を使用したかったり、歴史上の偉人で当時は使用が許されていたようなものを使いたいケースや、中国など他の地域で使用される文字を含めたい場合など理由は様々です。

しかし名付け親からすれば価値があっても、読む側からすれば難しい漢字は面倒なばかりで、そのような不便を周囲に強いていることに、気遣いができないというコミュニケーション力の不足、空気の読めなさを主張することになりかねないため注意が必要です。

日本では元々成人すれば名を変える習慣がありましたが、芸能人や作家などは、自分で芸名をつけたりペンネームを考えます。襲名などで名を授かることもあります。会社を設立して社長となり、社名を背負うこともあります。要は子が成長してオリジナリティを要する状況に直面すれば、名前は自ら設定するものであり、行政事務上の都合で出生届で出す子どもの名は個性を主張するものとは また別の存在です。行き過ぎて事務処理を困難にするようなことであれば、人名がただのニックネームになり、マイナンバーや個人番号などIDがその人の本名になってしまうことでしょう。

新字体について改めて考える

難しい漢字、珍しい漢字は、表現力の豊かさという観点では意義があります。その一方で日本語を分かりにくく不便にするマイナスの側面もあります。

残念なことに2000年以降の日本は人口減少期を迎え、国力が低下することが予想されています。そういった状況下では漢字学習の負担や、読み書きの負担を軽減して、国語の構造改革を進めることは、ひとつの処方せんに なり得るものです。ちょうど戦後の日本が急成長を遂げたことにも通じます。

そういう意味では当時 新字体をまとめ上げたことは大変な偉業であったとでしょう。

しかし、新字体について、今では取り上げられることは あまり ありませんが、批判的な見方もあります。

第一に元の漢字と字形が異なっているために、文字の形から意味が正確に読み取りにくくなったことです。

(ヘン)という字の旧字体はと書き、絲(糸と糸)の間にをはさみ、からまった状態から何やら言葉をぶつけている様子を示しています。には上部にがありますが「または」という意味はなく、たまたま略して書いたときに同じような字形であったということに過ぎません。

また 漢字は発音を その構成部品から継承する形声という仕組みがありますが、それが壊れた例もあります。

「デン」と読む の字は、一見すると人偏(にんべん)にという文字がついているように見えます。は“云々”(ウンヌン) の「ウン」ですから、同じ読み方をしても良さそうですがの音は全く違います。なぜならとはの元になったモヤのことで、の旧字体はなので、つまりがルーツです。ちなみに簡体字で(傳)は(專)はなので同じ字形を保っています。

常用漢字から漏れた旧字体との間の関係性もあります。

という字は(⽨ + ⼸ + ⽎) を旧字体にもちますが、この字にはさらに⺡(さんずい)のついたや、⺘(手へん)のついた、他にも の字が存在しています。と書くのは普通の字ですが、醱・癈・に対する𫝼の字は拡張新字体という非公式な許容字体です。他の字はそれもありません。

手書きではの部分を略してとすることができても、コンピュータでは漢字変換で出ないものは使いようがありません。このとき の代わりにが同じ意味であることを知らない人は、の字を見ても意味を想像できなくなるわけです。

このような規則性を放棄した略字体の使用は前後の文脈に依存したもので、単独一字から字義や発音を想像するのは難しいものがあります。初めて見たときに過去の知識が応用できず、覚えにくく推測しにくいという弱点を持ちます。

戦後の時期に急速に進んだ漢字改革には、読みやすく書きやすくという文字構造の単純さというところにのみ力点が置かれています。これは当時は まだ誰もが簡単に使えるコンピュータのようなものはなく、あくまで手で書く上での都合を優先したこともあるでしょう。

拡張新字体は、その新字体の考えを受け継いで 新聞社などが取り組んだものですが、その普及に対して日本政府が出した回答は表外漢字字体表として旧字体を正字として定めたものでした。

平たく言えば、改革を途中で放棄したわけです。

中国語との関係

2000年ごろになってきて難しくなったのは中国語との関係です。

カナを使わない中国においては科学や技術の進歩とともに新たに生まれる事象に対して新しい漢字が製造されます。

現在、日本国内でも観光や留学などの都合から、至る所に中国語に翻訳された案内が設置されています。これがなぜ急に増えたかと言えば、日本は主力の製造業を人件費の安い国外に多くを奪われ、日本にしかない価値として有力な、地方の輸出とでもいうべき観光産業や地理的な特性に高く依存をすることになったわけです。そのため 日本国内に中国の新しい漢字を含む、多数の外国語を並べる状況が生まれたわけです。

それらは基本的には中国人向けのものですが、それを見て日本人の若い世代で中国語の読み書きに興味を持つ人も少なくなく、好奇心でスマホなどで意味を調べてみたり、中国製の新しい漢字を自発的に学習する機会も多くなっています。

昔と違って日本語で書いた文章を機械翻訳にかけて中国語に直すこともすぐにできます。どの言葉 どの字が 対応しているかを見ることも可能です。

そうなると、簡体字という形で新字体にまつわる問題に徹底的に対処した国と、旧字体を正とした日本語のあり方との間でコントラストが目立つようになります。

簡体字のやり方が常に最善というわけでは ありません。例えばと似ているは旧字体はで、字源が異なります。これはの部分を もとのにしてからに変えるのが最適ですが、これが簡体字だと广になります。これではなど違う文字の略字にも見えてしまいますから、のほうがマシです。

しかし、表外漢字や人名漢字は古い漢字を改良せず いつまでも用いることを認めておきながら、反対に意義が壊れた新字体に変えて旧字体を常用漢字に戻すこともしない、不適切な字形の省略も整理しない、これは単に問題を放置しているだけです。

それこそ日本の改革断行力の低さと、失敗を認めない精神が露見していると言えるでしょう。