カタカナ語

カタカナ日本語

日本語のいくつかは、適切な漢字が見つからないか、または付いたにせよ意味が違うため定着しないままになっているものがあります。

これらは主に新語の類で、若者言葉などと評されることも多いですが、今や いっときの流行りではなく、数十年に渡り生き延びているものがあります。

  • サボる (サボタージュする・役から逃れる)
  • デカい (大きい)
  • ヤバい (危ない・すごい)
  • ハマる (嵌る・のめり込む)
  • ダサい (駄作臭い)
  • エロい (エロチックな)
  • キモい (気持ち悪い)
  • メンドい (面倒臭い)
  • ノロい (ノロマである・鈍い)
  • キレる (怒りが限界を超える)
  • バラす (バラバラにする・秘密を漏らす)
  • チクる (告げ口する)
  • パクる (盗む・盗用する)

大昔の日本人なら、これらの語句をそのままにはしなかったでしょう。

「ベースボール」を「野球」とか、「テニス」を「庭球」としてみたり、「アメリカ」を「米国」など呼ぶ具合にです。

上記の例で、「サボる」なら「逃役る」、「ダサい」は「駄作い」など、考えることは難しくもありません。

現代でも中国などでは漢字への置き換えは日本より比較的強く、例えば インターネットを上網とかホームページは網站とか、スマートフォンなら手机など、何でも漢字にしてしまいます。

しかし現代の日本人は こういう漢字創作は放棄しているように見えます。

どちらかというと漢字熟語を新たに作るよりかは、単純にカタカナで表記し、それを略語化してしまう傾向があります。

例えばスマートフォン(smart phone)なら「スマホ」(またはスマフォ)、アプリケーション(application : 技術応用)なら「アプリ」といった具合です。

カタカナ語の分類

カタカナ語は その生まれるパターンから次のように分けることができます。

  • (ア) 英語・ラテン系言語由来
     コンピュータ、インターネット、ミスる、バズる
  • (イ) 擬音語・擬態語
     パクる、デレる、ショボい、ボコる
  • (ウ) 日本語または漢語の略語
     メンドい、キモい、ダサい、ハズい、グレる
  • (エ) 仏教用語、中国経由語句の簡易化
     シャバ、ローソク、ラクダ
  • (オ) その他の外来語
     キムチ、ムスリム、トムヤムクン、キリマンジャロ

(ア) は近代になって急速に増えているもので、某新聞社の調査では記事に含まれるすべての単語のうちの半分近くがこれに当たるといいます。

「コンピュータ」とか「デジタル」「インターネット」など電子機器に関するものが多いですが、それ以外でも「ウイルス」や「テロリスト」、「サービス」「ドリンク」「キャッシュレス」「カジュアル」「リベラル」「ゲートウェイ」などなど ジャンルもカテゴリーも問わずバラエティに富んでいます。

このパターンに言えることは、漢字への置き換えを日本人が嫌っている可能性が高いということです。

「コンピュータ」なら「電算機」、「デジタル」は「数値化」や「電子化」、「インターネット」は「国際電子網」や「越境通信網」、「テロリスト」なら「恐怖組織員」「反体制武装集団」、「ゲートウェイ」なら「玄関路」「入場口」とか、意味を失わないように それらしく言い換えることはできそうなのですが、そのような語句は明らかに減っています。

(イ)のタイプは「ショボい」「チャラい」「チョロい」や「パクる」「デレる」みたいな何らかの音や動作の様子などに、形容詞を意味する「〜い」や、動詞を意味する「〜る」を付けて言語的機能を与えたものがこれにあたります。

これらの言葉は、元来 日本語そのものの誕生とも通じるところがあるものです。例えば「冷やす(ひやす)」なども「ひやりとする」など今でも言うように、擬態語の変形が由来です。

「水(みず)」や「満ちる(みちる)」なども液体が ピチャピチャと滴る様子を表す「み」が由来とも言います。(うみ・なみ・みなも など「み」だけが残る語句が他にもある )

したがってこれらの語の存在は原始日本語の姿そのものです。それが日本語として十分な地位を得ることができないのは、適切な漢字の割り当てをしていないところにあると考えられます。漢字を高尚として、漢字のない語は それより劣るというような 一種の漢語至上主義的な思想を持つ人々にしてみれば 下衆で無学な表現に見えるかもしれないわけです。

「デレる」は「デレデレする」からくる言葉ですが、これも「惚垂る」などと書くと随分日本語らしく見えるようになります。

「デレ」の一種に「ツンツンする(反抗的な態度)」と合わせて、「ツンデレ」などいう発展系がありますが、これにも「尖惚垂」など適当な漢字を当てると随分と見えかたが変わります。

(ウ)は、「面倒臭い」を「メンドい」とか「気持ち悪い」を「キモい」というものがこれにあたります。古くは「下衆なる」から「ゲスい」、江戸時代にも「平凡なる」を「ヘボい」など略していたとされており、大昔から一般的な日本語生成法の1つです。

このタイプで言えることは、使用する本人が元の語句をある程度認識していながら、書いたり言ったりする際に面倒臭いので縮めて使うと言う点にあり、正しく言う必要がある場合には略さず言うことができます。

しかし「思い量る(おもい はかる)」に対して同義の「慮る(おもんぱかる)」という漢字があり、これを さらに熟語にして「考慮する」「配慮する」などと言うことが できるように、古代には よく使われる組み合わせについては漢字1つを合成して作るという手法が とられてきました。

「面倒臭い」に対しては似たような意味を持つ「ダルい」という言葉が ありますが、これに対する当て字の1つに「懈い」という書き方があります。「心を解かす」という文字を合わせたものがそうなるのです。

「叩き合う(たたきあう)」から「たたかう」という言葉が生まれ、それに対して「闘う」という文字が当てられた例もあります。“翻す”(ひるがえす)、“遡る”(さかのぼる)、“論う”(あげつらう)、“覆す”(くつがえす)、“蔑む”(さげすむ)、“迸る”(ほとばしる)、“尽く”(ことごとく)、などなど 探せば たくさん出てきます。

ですから「気持ち悪い」に対しては「気」の部首の(きがまえ)をとり、これにをくっつけて「」のような新字を作り、これを「きもい」と読ませることも原理的には可能でしょう。

ところが こういった新文字の作成を簡単に行うには 手書きで なければできません。それをコンピュータで入力して保存したり検索するのには、普通に漢字変換して出るものと比べると 余計な手間がかかります。もしかしたら 文字自体に結合機能が ついて 合字が標準化すれば話は変わりますが、今のところは そうは行きません。

特殊な文字はインターネットで多くの人に知ってもらうようなことはソフトの都合で 送れなかったり、うまく再現されないこともあり、正しく意味を伝える道具として広めるのには 多大な知識と労力を要します。

たまたま運良く別の文字が利用可能なケースも考えられます。

漢字の組み立てには 形声文字という、意味をもつ文字と音をもつ文字を合わせて1つの漢字を作る技法があります。病気を意味する(やまいだれ)と、(きも)の字の旁(ツクリ)であるの字を合わせてとし、これを「疸い(きもい)」と読んでもいいかもしれません。この文字は黄疸という肝臓や胆嚢の病気を表していますが、訓読みはありませんから当て字で使うことは可能です。

とはいえ、入力が手間であることは変わらず、そのようなテクニックが普及するのは なかなか カナよりか 可能性が少ないと言えるでしょう。

(エ)は、“釈迦” ではなく「シャカ」、”仏陀” ではなく「ブッダ」と書いたり、娑婆世界の “娑婆” を「シャバ」とか、“大袈裟” を「大ゲサ」と書くなど、元はインド系のサンスクリット 梵語のものが中国経由で伝来したものを、読み方が分かるように簡単にしてカタカナ化されることがあります。

(オ)は(ア)と同じですが、これらの特徴は現地語での入力が簡単ではないと言うことです。ハングルやアラブ、東南アジア系言語については、日本のコンピュータ環境では入力するのが決して楽ではありません。

パソコンにまず追加言語をインストールしたり設定をいじって言語を有効化した上に、ローマ字入力の代わりとなるGongjin Cheongであったり入力方式を覚えないといけません。

英字仮名交じり語

近年カタカナ語に加えて、拡大しつつある表記法に、「英字仮名交じり語」というものがあります。

  • GETする
  • BACKする
  • UPする
  • PUSHする
  • TELする
  • LINEする
  • DLする

これらは「〇〇する」となっているので、まだまだ名詞に「使う」とか「行う」という意味を付け加えた程度のものですが、カタカナで書いた時に生じる見た目のチープさが かすかに緩和される点と、元の発音を損なわないという点に特徴があります。

「UPする」は何かの設定や設備を「セットアップする」ことや、インターネットに写真などを公開することを意味する「アップロードする」を縮めた言葉ですが、カタカナで「アップする」とした場合、「Appする」という別の英単語と 意味が曖昧になります。(スマートフォンのアプリのことを英語圏ではAppと呼び、App Store など名称で日本でも用いられます)

TELもカタカナで「テル」と書くと、何のことだかわかりません。「DLする」は「ダウンロードする」の事ですが、これも「ディーエルする」では意味不明ですし「ダウンロードする」では長くて入力が面倒です。

その他にもっと くだけた言い回しでは、「〇〇する」からさらに短く「〇〇る」となるケースがあります。

  • disる (ディスる)・・・避ける、批判する
  • upる (アプる)・・・アップロードする
  • bazzる (バズる)・・・広く話題になる、拡散される
  • jamる (ジャムる) ・・・ 混雑する、混線する
  • emoい (エモい)・・・エモーショナルな(情感に訴える、魅惑する)

これらのように、英字を混ぜて使うかカタカナで書くかは個人の好みによるところも大きいですが、カタカナで書くよりも元の意味を比較的正確に表すと言う性質は見逃せません。

ここにはインターネットによる現地の生の外来語が国内に流れ込み、島国であった日本の国境を自由に情報が飛び越えるようになったということが極めて大きいと考えられす。

漢字やカナにすると、どうしても語感が損なわれるのです。これは日本語の「カワイイ」を「lovely」とか「pretty」などとすると少し雰囲気が違って聞こえるのに近いところがあります。

もう1つは日本人が文字を読み書きするときに、原稿用紙のような固定ピッチ(幅)のメディア(媒体)ではなく、プロポーショナルフォントと呼ばれる、文字の形状によって幅を自由に変えるものを使うようになった点も挙げられます。

「disる」を固定幅で「disる」と書くと、どうにも不恰好です。

ですが現代の横書きのコンピュータの画面上では 英字を混ぜてもキレイに配置してくれます。特に最近の2010年以降のスマートフォンは画面のピクセル密度が高く、紙と同じ精細な文字を表示することができます。

紙についても同じく、一昔前までの印刷技術の活字印刷で、多量のテキストを生成するには固定幅であることが好都合でしたが、今では幅違う字種でもデジタルデータ対応プリンターで十分実用に耐える速さで印字できます。

もともと かつて日本人が毛筆を使って文字を書いていた時代では、文字の幅を自由に変えながら表現していました。

強く言いたいことは大きく強く、悲しいことは細く、文字に心を乗せていたのです。しかしある時代から人々は印刷を用いるようにより、文字を手で美しく書く鍛錬を諦めるようになりました。

これによって、誰でも美しい文字を書くことができるようになりましたが、その代償として自由な文字幅を失ってしまっていました。それがいま再び帰ってきたと言うことです。

ただし、外国生まれの見慣れない文字とともにです。

求むべきはカナの向上

上記の例を考察するに、全体として日本人は画数が多く変換の手間がある、難しい漢字の利用を自ら忌避し、カタカナを使う楽な方向へとシフトしていることが うかがえます。

じっさい 2000年以降に設立されたような法人名や、商品やサービスの名称などを探ると、明らかにカタカナの利用率が高まっています。

難しい漢字を使う場合、文字に読み仮名をつけて、読みやすくする工夫が書き手に求められます。これがコンピュータになると ルビを打つことができる専用のソフトを用いる必要があり、いちいち面倒メンドウい ことになるというのもあるでしょう。

もちろん難しい文字に自動で読み仮名を振るようなシステムを利用することも考えられます。しかし、たとえば “生物” は「いきもの」か「なまもの」か「セイブツ」か分からず。常に適切にカナに自動変換できるとは限りません。

“入れる” という小学1年生で 習う文字ですら、「いれる」なのか「はいれる」(可能動詞)か区別は困難です。

ですから「Webサイトに入れますか?」とメール等の文字で尋ねられたとして、これが「サイトにログインすることができるかどうか」を問うものなのか、「何か記事をサイトに掲載することを問うものかは この一文だけで区別できません。

質問の意図を明確にするためには もっと具体的に「ログインできますか」か、「アップロードしますか」のような、具体的なソフトウェアの操作を明示する必要が生じ、この場合たいていはカタカナで書くしか手立てがありません。

ところが、21世紀の日本語のカタカナは音声的に機能が不十分です。例えば「ライト」は明かりを意味するLightなのか右を意味するRightなのか書くことを意味するWriteなのかは区別できません

ただでさえRightには 右という意味の他に 権利 や 正しい などの別の意味があるのに、カタカナになると なおさら理解を妨げます。

そうかと言って漢字を使って新たな事象を扱おうとすると、漢字音の振り方の問題で すでにある他の同音語との衝突を起こしてしまうケースが少なくなく、入力がさらに面倒なものになってしまいます。

これは大昔は存在したカ行タ行を、日本のガラパゴス的な進化の過程において多くを消滅させてしまった点も大きいと考えられます。

こう言った問題を解消し、スムーズな伝達を可能とするには、やはり改めてひらがな、カタカナについて見直し、より柔軟な音の組み合わせをできるようにしていくことが重要です。