“強制”・“共生”・“矯正” は、すべて「キョウセイする」と言うことのできる動作性名詞です。
これらの単語はどれも分野に関係なく広く用いられるもので、そのくせアクセントの区別が明確ではありません。
漢字が簡単な「共生」のみで「共に生きる」と言い換えられますが、ほかは言い換えしづらいものです。
“強制” は “強制終了” や “強制送還”・“強制わいせつ” など複合語で用語として定着しているようなものがいくつかあり、こういった単語は容易に言い換えにくいものです。“矯正” も “歯列矯正” や “視力矯正” など いくつかの定型複合語があります。
“強制” は、武力や威嚇、ペナルティを与えて人の行動を強いたり、本来の動きと異なることをさせるもので、否定的なニュアンスがあります。
“矯正” という語は、悪癖や歪みを正すという意味ですが、しばしば 人に対して差別や批判的な語句として作用します。本人が自主的に言う場合は問題ないですが、他人が勝手に捉えて言うと、人格攻撃となる事があるからです。
“共生” という単語は、むしろそれが難しいような局面で必要とされ、例えば人種や国籍や性別や宗教など、何らかの社会的属性が異なる相手との間のライフスタイルの話題に踏み込むときです。これといって唯一の正解が無く、論争を生じやすいテーマです。
このため “強制”・“共生”・“矯正” の誤りは どれもデリケートで、間違えると問題を生じることがあります。
読みを変更して正確にすることは意義があります。さいわい すべての字が異なっているため、どれを変更するかは比較的自由度が高いです。
強
という字は、「キョウ」のほか、“強情”・“強盛”(ゴウジョウ) の「ゴウ」の呉音読みもあります。また中国読みを頼ると、「カン」や「ジァン」などが候補にあります。
この文字には複数の起源説があり正確ではなく、音に正統性が見出だしにくいものがあります。弘
に由来するというものと、彊
の略体であるという説がありますが、弘
とは意味が合いませんし、彊
は常用漢字でないのでこれを「キョウ」と読むことはあまり知られません。彊
と共通部を持つ橿
は、奈良の“橿原市” の地名で用いられるので見覚えはある人もいるかもしれませんが、音読みは使われません。よって変えてもあまり支障はないと言えます。
今の日本語の読みからすると、「キャン」「ジャン」「チャン」あたりは衝突回避の上では有効です。「ゴウ」「カン」では “合成”(ゴウセイ)、“完成”(カンセイ) などと重なるのであまり役に立ちません。
うしろの制
のほうは、一般に日本語では「セイ」としか読むことができません。
この字は単独で「制する」と動詞として用いられるほか、「○○制」の形で任意の単語に結合するため、「セイ」の読みが分野問わず幅広く定着しています。この特徴は性
が「○○性」となるのと同じですので、たびたび衝突します (製
や星
も ありますが分野が限られる)。中国普通話だと制
は「ツィ↘︎」(zhi4)、性
は「シン(ク゚)↘︎」(xing4) なのでこれらは厳密には違いますが、日本語のカナでは区別がありません。
日本語で 反り舌 (歯を使わない) zh (tʂ)をベースとする音は ほとんど用いられず、「ツィー」と書いても「チー」と分けられず間違いのもとですが、かわりに「チェイ」は良く使われます (チェイン/chain、チェイス/chase など)。うしろのイ
の部分は実際には「エ」と読まれうる見せ掛けの母音ですが、「セイ」という現在の仮名遣いに合わせて「チェイ」とするのが整合的です。
制
は形声字の製
の音符としても用いられているため、学習容易性の観点で 同時に読みを変えたほうが 望ましいと言えます。語義差の小さい “制作”vs“製作” は区別できないにせよ、少なくとも “制作”vs“政策” を区別するのには有効でしょう。他にも “学生”vs“学制”、“統制”vs“党勢”vs“東征” などいくつかの熟語の衝突回避にも役立ちます。
共
は日本語では「キョウ」としか読みません。ただし “洪水”(コウズイ) の 洪
は「コウ」、“供養”(クヨウ) の供
は「ク」など、これを部として用いる別の漢字では音に多少のブレがあります。「ク」は「クセイ」として利用することができます。中国普通話では「コン」(gong4)の読みを持ちますが、“混成”(コンセイ) などと重なるので役立ちません。
“共生” については同音の起きやすい 共
ではなく似た意味を持つ別字を用いた造語も1つの手です。たとえば伴
を使って “伴生”(バンショウ) とか、「同類として生きる」の意味で “類生”(ルイセイ)など考えられます。 “傍生”(ボウショウ)、“互生”(ゴセイ) など別の用語を転用するのも良いかもしれません。
矯
は喬
の字を部に持つ会意形成字で、いずれも「キョウ」の読みで共通しています。同じ部を持つ文字に橋
が常用漢字にあり、外では嬌
(なまめかしい) 驕
(おごりたかぶる) 僑
(やどる) の字も時々現れます。この字はさらに高
と字義が近く、背の高い建造物を示しています。音も 少し近いものになっています。
喬
は普通話で「チャオ↗︎」(qiao2) となっており、声調を無視すると、この発音はイタリア語の挨拶などとして取り上げられるほか、外来語風のニックネームなどで割とポピュラーな発音です。
日本語の 仮名遣いとしては「しょう」と書いて「ショオ」と読む曖昧さがありますので、そこに当てると「チャウ」とすれば「チャオ」と発音しても良いと言えます。
矯
は実は「ジァオ⤻」(jiao3)で、喬
や橋
とは異なるのですが、日本語では同じにそろえられています。これらが同じ場所に出現する場面は ほとんど無いので、読みをそろえて学習容易なほうがプラスでしょう。
この字の弱点は常用漢字でありながら用途に合った訓読みの無さが挙げられます。「ためる」という読みがありますが、これは「貯める」や「溜める」があるので意味がうまく通じません。したがって例えば「たてつける」「ただしめる」「そびあげる」「のびやかす」のような、それっぽい訓に作り変えることが考えられます。そうすると「矯正する」のかわりに「矯け正す」のような言い換えが容易になります。
正
と 生
は、いずれも「セイ」「ショウ」の両方の読みを持ち、また極めて基礎的な漢字として流通しているため連濁を生じる単語や固有名詞が多数あります。成
も同じような性格があって、それぞれよくぶつかります。しかし他の形声字の部としてもよく登場するのでどれを動かすのも難しく、なるだけ訓読みにしたほうが無難ではあります。
正
に関しては、中国普通話では「チョン」(zheng4)であったり、広東語系で「チェン」がありますが、国内で流通する日本語としてはあまり例がありません。対して 金正日など韓国の人名で「ジョン」の読みが比較的 良く知られていることから、この「ジョン」あるいは 濁点を取って「ション」と する あたりは候補としてありえます。
一方 生
は「ション」(sheng1) であり、無声の摩擦音になります。日本語では “養生”(ヨウジョウ)・“往生”(オウジョウ)・“衆生”(シュジョウ) など、“今生”(コンジョウ) など 濁音の付く単語が多くあり、複雑なズレがあります。
正
を含む形声字としては証
政
征
整
症
がありますが、「ショウ」と読む部分を「ション」にしても おおむね 支障はないと言えます。生
を持つ形声字は 性
星
姓
であり (会意字の産
甦
甥
隆
などは音に関係ない) 、これらはどちらかと言うと「ショウ」より「セイ」の方が多く用いられます。
この回では直接関係ないですが、成
は城
盛
があります。ここで「ジョウ」を正規に持つ城
が現れますが、「ジョウ」は 状
という これまた単独で任意の語末に付く字が現れるため、近づくと危険です。
また正
と 生
は旧仮名遣いで「しゃう」と書くことができるので これも1つの候補になりえます。
落とし所としては 生
と正
のどちらかを「セイ」「ション」「チョン」「シャウ」のいづれかから選択するということになるでしょう。聞き間違えても影響がないという意味では「ション」が一歩リードしているというところと考えられます。