“寛容” “肝要” は、国語文法上は形容動詞語幹 または名詞 あるいは ナ形容詞、“慣用” “観葉” “官用” については 「慣用句」など 直接続する名詞接頭語であるほか「慣用の表現」など ノ形容詞として機能します。
“慣用” を除く他の語については いずれも古かったり 用途が限定的で、出現頻度 低めの単語同士の対立になっています。
“寛容” という単語は <広くおおらか>という意味を持つ寛
に 容
を <受け容れる> という意味で合わせたものですが、人に対する形容表現としては “寛大”(カンダイ) の方が 同音衝突がない上に いくらか用途が広く、また「寛大にもご容赦くださいました」など 合わせ技で登場することもあり 汎用性の高さを 見せます。
用途が少し狭くなるはずの “寛容” ですが、どういうわけか、不寛容な他者を批判する あまり寛容とは いえない記事で しばしば用いられ、反対語の “不寛容” や “寛容でない” というような 否定形で 登場します。
“観葉” という単語は 文字だけ見れば <葉を観る>という動作性名詞にも見えますが、ほとんどの状況下で “観葉植物” という 一見すると複合語のような ひとかたまりの単語に現われ、“観葉者” など 別の語と接続したり、「観葉する」などと 単独で使用する ケースは 極めて まれ です。
あるとすれば 食用・防風用・遮光用のように 植物の他の用途と区別する状況ですが、“観葉用” “観賞用” のように 用
が つくか、 “展葉植物” など 植物側が動作主になる文字に替えるかしないと、係り受け関係に整合性が取れないことでしょう。人によっては もしかすると “観用” という 別の漢字をイメージしているかもしれません。
そうした点からすれば “観葉” という語句は そもそも 単独で辞書に登録される必要は無いかもしれません。
“肝要” とは、肝
(きも)と要
(かなめ) の 2字から成りますが、両方とも <全体の中心の大切な部分>という 意味を持ちます。ここにさらに心
を加えると “肝心要”(かんじんかなめ) となって、より仰々しく強調することができますが、肝
という表記が 内臓を示していて やや古風でグロテスクさを持つため、公的な表現としては使いづらい面があります。
「重視すべき」「念頭に置くべき」「日頃から気をつけたい」など 見た目にクリーンな 表現は いろいろあるので 無理して使う必要がなく、これもどちらかというと 死語として 埋葬しても良い単語かもしれません。
“官用” は、<官のために用いる> あるいは <官による何かの用> のいずれかを示す 複合語です。
用
という 字は “雑用” “私用” “野暮用” など 用事(task, work)という意味の単純名詞、“流用” “重用” “盗用” など用いる(use) という動作名詞、“仕事用” “個人用” など 用い方(for, as) を示す 名詞および ノ形容詞語幹、という 複数の振る舞いをします。
どの役割を持つかは 文脈によって決まり、「官用の車を納品する」と「外国を官用で訪問する」は同じ語でも 分析上の品詞が異なります。
用 vs 要 vs 容
流れからして “慣用” 以外は使わないから放置で良さそうにも見えますが、そうとも言えません。
「ヨウ」と読む用
要
容
の3つは “用紙”vs“容姿”vs“要旨”(ヨウシ) や “要件”vs“用件”(ヨウケン)、“容器”vs“用器”(ヨウキ)、“用意”vs“容易”(ヨウイ) など かなり よく衝突を起こす ライバル関係にあります。これらは 何らかの読み替えがされたほうが有益です。
葉
に関しては “紅葉”vs“効用”、“子葉”vs“使用” などは ありますが 先の 3つに比べると 少数です。
これらは ここでの例の他に、様
溶
陽
洋
養
と衝突することもあります。
用
については あらゆる語と結合する性質があるため 熟語数が無限に生じうるため 変更の結果どこで衝突するか予測がつかず、「用がある」などとも言う1字単語でもあるので、音の変更は非常に難しい字となります。
容
については単独で使うことはあまりなく、熟語は “内容” “容積” “容量” など ありますが、用
と比較すれば数は少なめです。同じ部を持つ形声字の溶
の声部ですので、もし音を変えるなら同時に変更したほうが覚えやすいでしょう。
この字は 中国普通話の音を頼れば「ロン (rong2)」となるので、そのまま「カンロン」とすれば回避可能になります。しかし “内容”は「ナイロン」になってしまうので万能ではないです。この場合、拼音の字面に合わせて「ログ」「ロク゚」とするか、やや変形して「ヨウ」に寄せて「リョン」「リォン」あたりが候補になりうるでしょう。
寛
(旧字:寬
) は 元は 合拗音で「クヮン」であり、現代中国語の読みを頼ってもほぼ同じ「クァン」などになります。この字は萈
(カン) を含む 形声字であるとされますが、常用漢字外になり、同じ古い音に戻すのが最適です。熟語もかなり少ないため影響は軽微です。ただし使用頻度から観ると そのままでも あまり問題にならない可能性が高いです。
肝
は汗
刊
などと ともに、干
の音符を持つ形声字です。これらはそれぞれ微妙に違う音で、乾
の仮借(同音代用字)となったりで複雑な進化をしていますが、中国普通話の拼音によれば 肝
と干
は ganとなり、英語読みの有声音「ガン」が 通用します。熟語が少なめであることから、影響は あまり ありません。
“慣用” と “官用” は 用
が共通するので もし音を変えるとすれば 慣
と官
で変える必要が出てきます。
“官用” はあまり使われませんが、官
の字が “外交官” “文官” “裁判官” “長官” など ニュースなど堅めの文で 末尾に多く現れ、これは 初めて聞くような単語だと 同じ形式を取る「○○感」「○○館」「○○刊」と勘違いを招くことが考えられます。
形声字管
の音と同じため、こちらも変えないと混乱が生じる可能性があります。これは “管理” “血管” “気管” などの熟語があります。
慣
を使う熟語としては “慣用” “習慣” “慣例” “慣性” があり、民間では官
より日常用語寄りです。同音の貫
を持つ形声字であり、“貫禄” “一貫性” “一気通貫” など 熟語があります。
どちらか 片方を変更するとすれば 影響度に 差は付けにくいところですが、発音が難しくても影響を受けにくいという意味では官
を そらすほうが適当と考えられます。
観
(觀
)については観察vs監察(カンサツ)、観戦vs感染vs汗腺(カンセン) 、史観vs士官vs弛緩vs歯間(シカン) などがあり、いろいろと 違う分野間で衝突があります。分野が違うと両方の漢字変換をする人は少なくなるため、入力上の都合よりも、耳で聞き取りやすいかどうかの方が重要になります。
中国普通話によれば、guan1(クァン・グァン)ですが、ここでは脚
などで流通している「キャ」を使って「キャン」などにスライドするのが有効でしょう。