“不動”・“不同” は、それぞれ名詞または形容動詞 (ナ形容詞) で、「フドウである」のように使われます。
“浮動” は フワフワ浮いているという性質・状態を言うようでいて「浮動する」の形を取る動作性名詞です。
“府道” は 府
の管轄する道路をいう名詞です。これは東京府が かつてあったときは もっと使われていたかもしれませんが、現代では大阪か京都以外では あまり利用されない言葉です。
“不同” は 特に “順不同” の語でよく使われ、それ以外の用例はあまり見られません。「記載順は不同です」のように分けても使えますがこれも「記載は順不同です」としたほうが誤解がないでしょう。
同
の字は “同時”vs“同字”、“同等”vs“同党”、“同意”vs“同位”、“同姓”vs“同性”vs“同棲” など、同音語は多くあるのですが、どれも 同
の字ではなく もう1字に問題があるケースが多く、これ自体の音を変えても解決しません。
同
の字を用いる形声字は多く、 “恫喝” (ドウカツ) の恫
、“水筒”(スイトウ)の筒
、“洞窟”(ドウクツ)、“洞爺”(トウヤ)の洞
、“胴体”(ドウタイ)の胴
、“銅貨”(ドウカ) の銅
などがあり、「ドウ」または「トウ」で安定しています。
このあたりを考慮すると同
は動かしづらいのですが、元をたどると「ドウ」の読みは慣用音であるとされ、また現代の中国読みでも「トン」(tong)であるなど、濁音にすべきかは怪しいところがあります。「トン」なら豚
、「ドン」なら鈍
や丼
はありますが数は少ないのですが、「トウ」だと等
当
唐
投
籐
頭
島
など数が かなり多くなるためこれを嫌って読み替えられた可能性はあります。中国語の場合は 有気音 と 無気音 の発声の区別ができても日本語だとタ行のヴァリエーションが不足するからです。
浮
と不
では “不要”vs“浮揚” や “浮上”vs“不浄” で衝突があり、ほかに 浮
と同じ音を持つ形声字の孵
を使う“孵化”vs“不可” の対立があります。選挙の時期になると “浮動票”vs“不動票” の話が出ることがありますが、そんなまぎらわしい単語をいつまでも残してないで そろそろ対処すべきでしょう。
浮
の字は通常「フ」としか読まれませんが、浮くと言えば「プカプカ」か「フワフワ」のとちらかで、その語感から言えば「プ」「プク」「プウ」「フプ」あたりでも自然です。古典的な日本語で使う漢字熟語で語頭に パ行(p) がくるものは無いですが、カタカナ語の増加によりその前提は崩れているので、使わない理由は特にありません。
道
を使う単語は 非常に多く、“報道”、“道理”、“道程”、“道路” 、また “柔道” “剣道” “武士道” “茶道” “華道” など何かの作法や精神を “○道” という風に比喩的に用いるものも多数あります。同音語も多く「ドウジョウ」の“道場”vs“同上”vs”同情”、「シドウ」の “市道”vs“私道”vs“士道”、「ドウギ」で “道義”vs“同義”vs“動議”、「コウドウ」で “公道”vs“坑道”vs“行動”vs“講堂” など多岐にわたりますが、この道
の字の読みを変更するのは かなり難しいと考えられます。
この字には “神道”(シントウ) のように わずかに漢音「トウ」を用いる例があります。中国普通話なら「タオ」(dao4)または拼音英語読みで「ダオ」と読まれることもあります。“道徳” とか “道理” のような 物理的な「みち」とは異なる意味にはそのような使い分けがあっても良いかもしれません。
不
の字は基本「フ」と読みますが、“不粋”(ブスイ) “不細工”(ブサイク) “不精”(ブショウ) “不躾”(ブシツケ) など否定的なニュアンスの語には濁音の「ブ」が使われる傾向があります。この字はひらがなのふ
やカタカナのフ
の元の字でもあることから「フ」の音にそれなりの意義があり、動かさないほうが良いと考えられます。
不
の字は地面の下にある植物の種が まだ地上に現れる前を表しているとされますが、これと同じ意味の胚
という字もあります。こちらは「ハイ」と読みますが中国普通話では「フェイ」(pei)であり、このファ行ならギリギリ「フ」の字が残ります。「ブ」は 文字入力では良いですが、音では「ム」と聞き違いが起きやすいので、そこも考慮するなら少し音を伸ばすのは有効でしょう。
動
の字は 偏に重
を持つ形声字ですが、重
は「ジュウ」と読みます。これに寄せるなら「ヅウ」や「ヂウ」も候補になるでしょう。これを 平成カタカナ語的な「ドゥウ」「デュウ」のように発音すべきかどうかは、未来の「現代仮名遣い」が扱う問題です。入力上いまは douの代わりにduu/diuで すぐに出れば 便利だということです。