「あった」とは “ある” または “あう” の動詞の両方に使用される連体詞で、“有った時”・“会った時” のように両方の文型が成立します。( 動詞連用形に助詞「た」がついた形 )
- あう: 会った/合った
- ある: 有った/在った
「あう」には “合う” と “会う” の 他に “遭う” “遇う” “逢う” も ありますが、これは「あう」同士の問題なので ここでは扱いません。
“有った” も “会った” も ある瞬間においては 何かを見つけた時の言葉で、「〇〇此処に有り」などと言えば人が現れたことを言いますし、似たような同系語とも言えますが、かなり古語の世界でも “会った” は「あひし」で あるのに対し “有った” は「ありし」ですから 異なる概念ととらえるべきでしょう。
“会う” は もともと「あふ」の ハ行の活用動詞で、 ハ行転呼 によって fa や pa に当たる音が wa(ワ) に変わり、さらに ゐ
ゑ
を
の音が w を失って い
え
お
と同じ音になってしまったので、もはや規則性が崩壊してしまっています。
“会った”(atta) が古語からみて本当は af-ta なのだとするなら「アッタ」ではなく「アㇷタ」のように小書きㇵ
ㇶ
ㇷ
ㇸ
ㇹ
の利用も考えられますが 入力が面倒なので簡単ではありません。
「あう」には 使役で「あわせる」「あわす」や可能の「あえる」のような変化系が有りますが、それらとも重ならないところで微妙に音をずらせば、「あわう」(au→awu→awau) のような位置も考えられます。これはある意味 元のワ行五段活用ではなく 上一段や下一段とも違う “中段活用”(ウ段 u/w を核にした活用)を考えるようなものです。
語幹 あう(aw) 、 あわぃ-ます(awi) / あわう-とき(awau) / あわぇ-ば (awe) / あわぉ-よ (awao)
ここに「た」を付けるときは「あわぃた」「あわった」のどちらかになるでしょう。歴史的に古語で四段活用から五段活用が出現したことを思えば、その拡張や異なる接続形が 派生することもおかしくはありません。
ただ拗音を含むような活用は、和語の表記法として 旧来のパターンからは使えません。ゐ
とゑ
が使えるならわぃ
やわぇ
の代わりに用いることもできるかもしれませんが、入力が面倒なのは変わりません。
簡単には「あうった」と そのまま「った」を付けたり、京阪神に多いウ音便で「あうた」の(「おーた」と発音されることが多い) もあります。ウ音便は “問う” など ごく一部の動詞で “問うた” の形が用いられるので、これに対応する IMEも存在するでしょう。非対応の場合、“合うた” そのまま連体詞とするか、変則的ですが “あわう” “あうう” などの語形で五段活用動詞として単語辞書登録すると使えるでしょう。
「あふ」から考えれば aw のかわりに af を語幹とする方法もあるでしょう。この場合「あふぃ」「あふぇ」などが候補にあげられ、awと同じパターンの問題ですが、そもそも日本語の五十音で ふつう ファ行は扱わないので、ローマ字式カナのような母音と子音を分けて考えるロジックの定着を先に必要としてしまい容易ではないでしょう。
そのほかの手法としては 言い換えとしては、「あった」単独ではなく“出会った” や “似合った” “見合った” のように何か文字を頭に付けて具体化するのが有効です。“鉢合わせた” “目にかかった” などもあります。相手次第では “お会いした” など敬語表現にすれば 衝突が起きなかったりします。
音読みで “会” に「カイ」や「エ」をとって “カイする” “エする” の 〜する型 動詞にする手も状況次第では可能かもしれません。
対して「有る」の方は ラ行の五段活用動詞です。口語や ですます型では現れませんが、否定に「あらず」、推定に「あろう」が用いられます。
こちらは「あう」に比べれば 比較的 素直なのですが、「た」「て」に続く連用形だけ「あった」「あって」です。
おなじ 〜る型の動詞でも “張る” や “割る” だと「はって」「わって」と促音便ですが、“着る” “得る” “見る” は「きて」「えて」「みて」となるので、必ずしも る
をっ
に変えなければならない原則があるかと言えば怪しいところがあります。ア段とオ段の 〜る型の動詞は 基本 促音便が 今のところ 一般的と言うだけです。
ハ行と同じ理屈で atte でなく arte が正統なのであれば、これは「アッて」ではなく「アㇽて」や「アㇼて」という書きようも考えられますが、やはり入力しづらいのが難点です。発音に限っては 英語を小学校でも習うイマドキの子供達なら 難なく話し分けられるかもしれません。
“あり” という語は特殊で、“訳あり” などのように名詞に連結して 形容動詞の語幹を作る用法があり、「それはアリだ」のような形で動詞でありながら 連用形名詞や助動詞や様々な働きがあります。逆の意味を持つ “無し” が形容詞であることから異なる活用形を持ち、互いに干渉する様子があります。
「アリくない?」のような形容詞い詞がときどき現れるのも このような非対称に起因しているかもしれず、その意味では動詞の形容形のような活用形が求められているのかもしれません。
“あり” は文語表現においては「在りし日の...」のごとく し
を使って名詞につなぐこともできます。「て」「た」は時間的経過を与えるので 省くと意味が変わるので、そのまま「ありした日の」のように割り込ませればニュアンスとしてはそのまま通じるでしょう。
物ではなく 人に対して用いる “いる” は “いらっしゃる” の敬語表現がありますが、これは “いらし”+“なさる” が元で、特に “なさる” の代わりに “はる” を用いるエリアでは「いらしはる (irasiharu)」のため、早く読めばそのまま「いらっしゃる (irasharu)」になります。このパターンから言うと “ある” も “あらし” という連用形が考えられます。
ただ「あらす」では「荒らす」と 紛ぎらわしく、文字なら「有らす」と書けますが、口語ではあまり使い勝手は良くありません。漢字変換にも不便です。
その点、「ありはしない」の縮めた形とも見える「ありゃしない」という言い方は、「あり」と「あらず」の中間にある、もう1つの活用形として都合が良いかもしれません。 未然と連用の中間です。これが文字として標準化していれば現代日本語の母音の5つではなく幻の6つめに相当したかもしれません。