日本語で分かち書きが使用されない場合と そうでない時の違いは、一般に ひらがなだけで 構成される文かどうかによって決まります。
小学生向けの教科書では、漢字をほとんど知らない1年生向けには文節ごとに分かち書きが積極的に用いられます。
単語境界
カタカナなど字種の異なる文字の存在によって単語境界がわかりやすくなると言う考えがあります。例えば次ような文です。
くさむらにアリがいた。
すべて ひらがなに すると…
くさむらにありがいた。
すべてをひらがなで書いた場合に文字と文字がくっついてしまい、 単語の切れ目がわかりません。
このためカタカナが登場する事で そこが分割位置として分かりやすいと言うのです。
同種文字の連続
字種が違うことが単語区切りとして必ず機能するかと言えばそうでもありません。
特に1文字の漢字単語が語末に来る場合などは読みづらくなります。
- この先生命が・・・ (この先、生命が)
- あの後藤岡は・・・ (あの後、藤岡は)
- その際限りなく・・・ (その際、限りなく)
- あの時空は・・・(あの時、空は)
他にも見慣れない単語というものもあります。
例えば “清少納言” のような単語は、名を“清” 役職が “少納言” なのであり “清少”+“納言” ではありません。
“五里霧中” とは “五里霧” の “中” なのであって “五里”の“霧中”ではありません。
こういう言葉の切れ目を分かりやすくするには 文字種だけでは十分ではなく、スペースを少しあけて 分かち書きをしたり、何かしら区切り文字や送り仮名の工夫が必要です。
語頭の変更
字種を変えることで単語の切れ目をわかりやすくすることができるのならば、もっと明確にそれを利用することもできます。例えば次の文は、…
くさむらにありがいた。
これは次のようにも書けるはずです。
クさむらにアりがイた。
単語単位で文字種を変えるのでは無く、語頭のみをカタカナにする方法です。
この書き方は英文でいわゆるキャメルケースと呼ばれるようなルールと似ています。
キャメルケース(Camel Case)とは、コンピュータシステムで純粋なアルファベットしか使えないような箇所で登場し、たとえば “ThisIsATest” のようなものです。
スペースが使えるなら “This is a test” となるべきところを、スペースを消す代わりに続く文字を大文字化して境界がわかるようにしています。
日本語がその文字の制約上 分かち書きを許容しないと言うのであれば、全ての文節の開始位置をひらがな以外で書くと言うルールも考えられる わけです。
「出て来る」のように漢字なら ごく一般的に使われているルールなのですから、それをそのままカタカナに適用するだけのことです。
「デてクる」のようにです。
これが不自然に感じるのは単に目が慣れていないからにすぎません。
「ダサい」「ヤバい」「シブい」「セコい」「ハマる」「チクる」「パクる」のように、正しい漢字がうまく当てはまらないものは すでにカタカナ混じりの表記は今や ごく一般的に使われています。
「アイツはヤバいヤツだ」のような文も、もう立派な日本語で、あちこちにあふれています。
上記のような単語は昭和の頃からあるような極めて息が長いもので、他に「ナウい」とか「マブい」とか死語になったりまた復活したり意味を変容させるものなど様々に ありますが、今後も同じような新語がつぎつぎ誕生するはずです。
ただ、このようなそれでは解決しない問題もあります。
ひとつはカタカナとひらがなで区別のつかない文字がある事です。
へ
べ
ぺ
についてはカタカナか平仮名か区別がつきません。
単語内でのカナかな交ぜ書きをして、「へりに乗る」を「ヘりにノる」とすると、 縁かヘリコプターか かえって紛らわしい表記になります。
またカタカナの フ
と平仮名の つ
は形が似ているのに音が違います。
「川のフちをスすむ」などと書くと「フち」と「つち」と読み間違えてしまう恐れがあります。
こう言った点を踏まえると、境界部分で文字種を変える運用は、現行のカナの字形まで踏み込んで改良を必要とすることが わかります。