成人の日

2021年の新年は、日本の近代の歴史で極めて異例でした。

コロナウイルス感染症の拡大によって、人の集まるイベントは軒並中止または延期となり、成人の日を祝う儀礼である成人式も、各地で中止が相次ぎました。

また SNSなどては そもそも成人式をやる意味があるのか、そこに税金を注ぎ込む価値があるのか、様々な議論もまた起こりました。

ただでさえコロナで生活が苦しくなっている人がいる中で、感染症対策や様々な追加予算を使ってまで行事を実行することに対して政治的にコンセンサスを得ることは簡単ではありません。

この成人の儀をとり行うことは、現代において意味がどれほどあるのでしょう。

元服

現代の成人式の形が定着する以前から、日本ではもともと成人になるための通過儀礼が各地にありました。その代表格が元服です。

元服については時代劇などのワンシーンでちらっと取り上げられることがありますが、大人になった儀礼として髪型を成人の形に結わい、公務につく際に着用する礼服に着替えて成人を祝う儀式です。

このときに主君が烏帽子(えぼし)という帽子を授け、烏帽子親となり、主従関係を結ぶようになります。

これがもう少し後の時代になると、男子が髷(マゲ)を結わうために、髪を剃る習慣(月代=さかやき)が現れます。

男性の特に武士であれば、戦のときには兜(かぶと)をかぶります。前髪があるとムレたり滑ったり不快なだけでなく、目に入って前が見えなくなれば命に関わるため、これを取り除いておくことが備えであったわけです。

今で言えばスーツを着てネクタイをするようなことかもしれませんが、昔はこれに主従関係の証明や戦への備えなど、その時代での合理性があったのでしょう。

現在ではそこからさらに進み、スーツを着ることすら一部に疎まれる傾向が出ています。ネクタイについてはクールビズだといって付けないことが環境配慮へのポーズとなりますし、さらには同じようなスーツを皆が揃って着ることに対して同質的で無個性であると言うような別の批判が出てきたりしています。

こういった一生に一度の瞬間に関しても、人それぞれに違うやりかたをするのも時代の流れと言えるかもしれません。

幼名

現代人にとっては画一的で退屈な元服の儀式ですが、もう1つ重要なのが、烏帽子名(えぼしな)または元服名という新しい名前を付ける習慣です。

烏帽子を着る時には主君との間で、それまでとは違う別の親子関係が生まれます。この時にそれまで用いていた幼名から新しい名前へと改名が為されるのです。

幼名として有名なものには例えば 源義経であれば牛若丸とか、豊臣秀吉なら日吉丸、徳川家康であれば竹千代などといったものが挙げられます。

近年、親が子供につける名前が、親の知的センスや個人的な願望の押し付けによって、その子の将来に適していないと思われるものが増えていると言われます。

そういった名前はキラキラネームとかDQNネームなどと呼ばれ、なかば中傷の対象にされています。

テレビの向こう側にいるような一流スポーツ選手や芸能人、アニメのヒーローなどで珍しい名前が使われていても全く問題はありません。そのまま知名度を上げる武器になるからです。

しかし、そういう一部の限られた人を除く 一般大衆の場合、会社など組織で同調しながら社会生活を営むことを余儀なくされます。あまりにも常識から外れている名前がついていると、色々と良く無い想像をされて避けられてしまうリスクがあるわけです。

こういった例は実際には最近になって急に増えたわけではなく、大昔にも変わった名前の人はたくさんいました。織田信長は自分の子に奇妙丸とか茶筅丸といった、ちょっと変わった名前をつけています。

ほかにも漢字こそ まともでも、フリガナなしでは読めないような名前はたくさんあります。幼名ではありませんが、江戸幕府最後の将軍の徳川慶喜(よしのぶ)にしても何故 が「よし」でが「のぶ」なのかは良く分かりません。

どちらも「よろこぶ」と読めるので喜びがいっぱいなのは伝わってきますが、読みやすさで言うと少し困ります。こういうのは“名乗り字”などと呼び名前専用に用いられる特殊な読みで広く受け入れられてはいますが、学生にしたら面倒くさいことこの上無いでょう。全部音読みでケイキで済ませたいところです。

改名の自由

さて、現代における成人の儀の意義は、服装にしても職業にしても住むところにしても全て自由になった現代、式典への参加不参加も個人の自由です。

しかし その中で自由で無いものが、自分の名前を決める自由です。

現服があった時代には、幼少期の未熟な名前から抜け、自分が進む将来に向かってふさわしい名前が与えられました。しかし現代の日本では基本的には親が付けた名前がそのまま残ります。外国籍を取得したり、死ねば戒名が付くかもしれませんが国内で生きてるうちに名が変わる人は非常にレアです。

もちろん家庭裁判所を通してきちんと手続きを踏めば改名は可能ですが、その手続きは面倒であり、改名が必要な理由についても証明する必要があります。

また周りの人がしないことを自分だけがすることに周囲の目を気にする向きもあるでしょうし、親に反対されてしまうこともあるでしょう。

しかし もし仮に成人の際に、名前を成人用に改名することが一般的な世の中が戻ればどうでしょうか。

今の時代で成人式を主催するトップの、市長など首長は戦国大名ではありませんし、主従関係を結ぶわけでもありませんから、その長が名付けるわけにもいきません。

便利さで言えば全ての名前を事務手続きが簡単になるように、全て常用漢字から一番最初に習う読み方を付けてしまうのが効率的ですが、それこそ人権侵害だと言われかねません。

そうすると やはり本人が自分の将来を見据え、自分の頭で考えてふさわしい名前を名乗ることができるのが何より理想的です。

生まれて間もない時には まだその子がどのように育つのかは分かりません。ですが成人、あるいはもうちょっと早く15歳くらいにもなれば、大体その子の性格や体格、得意不得意などがハッキリしてきます。

スポーツが嫌いなのにオリンピックに因んだ名前とか、歌が嫌いなのに人気歌手の名前がついたりしていても、それを見直すチャンスが与えられることになります。

その他にも1つ検討の余地があるのは、親が離婚したケースです。

子供ができた当時はそうでなくても、その後に自分を名付けた親との縁が切れる場合というのもあります。

子の名前がそのままであれば、何らかの功績を上げて有名になったりすると、別れたはずの相手から見つかる可能性があります。それが問題にならないケースは良いですが、特に暴力を振るう相手や、経済的に問題のある相手など、相手によっては見つかりたく無いこともあるでしょう。

改名が普通に行われれば、身の安全を守る上でも都合が良い可能性もあるわけです。

他にもいわゆる性自認、トランスジェンダーの問題などもあります。生まれた時の性別と自分の意識する性が一致しない問題です。

男性が女性的、女性が男性的な名前に変更したり、もしくは性別を意識させない名前に変更することも考えられます。

式典という形で大勢集まって一律に何かをすることは、もしかすると今後は仮にコロナが収束しても忌避される時代になるかもしれません。

その中で、見た目ばかりを着飾って祝う成人ではなく、人の名という精神に通じる部分に着目しても良いのでは無いでしょうか。

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