嫁とは誰か

日本は男女平等が世界に遅れているとして、それを改めようと言う機運が高まっています。

国会議員に占める女性の割合が少ないなど、外形的に見て明らかにバランスを描いている職種がいくつかありますが、そのような一例がすべてに通じていると言うわけでもありません。

嫁の定義

(よめ) という言葉を (つま)と呼ぶべきだと言う批判があります。

ここには、家の女と書く文字の構成が女性の社会進出を阻む思想の現れであると言う言説があります。

しかしこの、嫁という言葉を国語辞典での定義は2つあります。

  1. 親から見て、息子の配偶者となる女性
  2. 妻と同義

この1の意義が いつから一般化したかは謎ではありますが、その定義に国語教育や配偶者に関する税制など法律が関与している可能性が考えられます。

というのも、古い映画やドラマやマンガなどで、女性自身が男性に対して「〇〇さんの およめさんになりたい」などと発言しているケースが少なくないからです。

親から見た 息子の配偶者を 嫁と呼ぶのであれば、女性が男性に対して言うのは 誤った表現です。ですからこのケースでは 2の「妻と同義」の意図で使用されていると解釈すべきでしょう。

“花嫁” などという言葉もありますが、ブライダル系の情報誌などではこの言葉は自然に使われています。挙式などでは対等な表現として新郎新婦と表現されますが、特段 “花嫁” に何かの皮肉が込められているとは考えにくいものがあります。

“嫁” と「よめ」

“嫁” が望ましくないとされるのが、その字形の問題です。の部をもつことから、家に居なければいけないかのような印象をもたらすからです。

しかし、 には複数の意味があります。

まず、“家屋” などの語にあるように 「建物としての家」、そしてもう1つは “家族” ・“一家” など、「一緒に暮らす仲間たち」を表す意味です。

英語にするならば house の意味と、family の意味の複数を持つ多義語であると言うことです。

日本の家の昔

もう1つ注意しなければならないのは、当然のことですが、この漢字が生まれたのは古代であると言うことです。

よく勘違いされがちなのですが、江戸時代以前の日本においては、人口のほとんどが農民や漁師など、百姓とよばれる人たちであったと言うことです。

時代劇などではほとんどの場合 主役は武士や天皇などの公家や周辺の貴族が中心で、まるで昔の日本人といえば 全員そうだったかのように イメージされがちですが、実際には ある程度 農具なども普及してきていた江戸時代でさえ 85%〜90%が百姓であったとされます。

江戸時代の身分制度は “士農工商” と呼ばれますが、武士のの次にがあるのはそれだけ主要な産業として認知されていたことを示しています。

それもそのはずで、今のようにエンジンの付いた自動車も船もなく、耕運機で田畑を耕すなんてこともできず、ほとんどが人力で食糧生産を行なっていたのですから、とにかく人数が必要であったことは当然です。

ですから、“家” と言えば 大部分が農家か漁師の家なのであって、明治時代以降の家制度のようなものは一部の特殊な人に限られていたわけです。

そのような時代において「よめ に行く」とは、農家の間での働き手の融通という意味合いが強くなります。

今のように保存料など薬品や冷蔵庫があれば良いですが、昔はそんなものはありません。ひとたび食糧生産が滞れば食料はたちまち不足し、簡単に餓死者が出る時代で、育児中であれ何であれ 常に働き続けなければなりません。

農家においては男性も女性も田畑に出て働くことには変わりません。いまでも女性が多く働く農作業の現場は いろいろな ものが 残っていますが、特に 苗を土に植えたり背の低い野菜を刈り取るなどの 低い場所の作業は、女性よりも背が高い男性には やりにくい作業です。役割分担をしながら立派な労働者として活躍していたと考えられます。

その農作業の中心拠点が家であり、チームとしての機能が一家・家族であり、つまりとは、住み込みで働く職場をも指していたわけです。

漢字ができた中国においてもその点は大きく変わるものではなく、食料の調達こそが生活の基礎にあります。家の字の上のは屋根で、下のは主に家畜を中心とする食糧のことを指します。

つまりはとは農家など食糧生産の場を支える者という意味合いが含まれているわけです。

特に日本において その身分は、武士よりは下ではあっても、工商、つまり今で言えば 製造業や、商社務めよりも偉かったのです。

ただし武士の社会ではこれが異なるのはまた事実で、強い男子が将軍となって家父長制をとります。戦乱の多かった中国内陸では家父長制が強く、

ヨメの語源

ところで、という漢字は中国由来のものですが、訓読みの「よめ」はどこからきたのでしょう。

漢字のの字はとても古いもので小篆つまり紀元前の時代にすでにそれらしきものがあるとされますが、日本語の「よめ」については謎が多いです。

諸説ありますが、末音の「め」の部分がを意味するという点に関しては一致しています。“むすめ” や “乙女”(おとめ)・“采女”(うねめ)・ “郎女”(いらつめ) など、「め」で終わる女性を表す言葉はたくさんありますからその同系として考えるのが自然です。

問題は「よ」の方です。これに該当するものとしては次のようなものがあります。

  • よき女 (良女・吉女・善女)
  • よぶ女 (呼ぶ)
  • よる女 (選る・寄る・因る)
  • よる女 (夜)
  • よむ女 (読む・訓む・誦む・詠む)

このうち、文献では鎌倉時代あたりから「よめ」の語があると示されますが、今のようにインターネットで誰でも読めるような時代ではありませんから一部で生じた言葉がそう広く簡単に普及するものでもありません。

漢語の普及以降では熟語では「ニョ」や「ジョ」が使われ、また純粋に「おんな」との呼称もあり、「よめ」だけがその意味として広がるのも不思議な話で、まして女性が自分から意中の男性を対象にとって「およめさんになる」という言い方がされるのはかなり不自然です。

そうすると、同じ「よめ」という言葉でありながら、複数の異なる意味を持つ言葉として 各地で存在していた可能性が出てきます。

日本の平安時代や古い時代は女性中心の社会で、女性が よめに行くという習慣は一般的では ありません。妻問婚とか婿取婚と呼ばれ、むしろ男の方が女性の家を訪ねています。

こういう女性の家に男性が入る婿入りは鎌倉時代くらいまで その形があったとされ、嫁入婚が浸透するのは武家社会中心になった頃からです。

古文に見る “よめ”

そんな訳で、よめに行く、よめにやる、よめにもらう などの表現は古文になかなか現れず、これが出てくるのはあまり多くは見つかりません。

清少納言の枕草子(1013年)には よめ、しうと、しうとめ、むこ が全て登場し、「ありがたきもの」に「しうとに誉めらるるむこ」「しうとめに思わるるよめ」との表現があります。同列に示されていて、どちらの家に同居しているかは明らかでなく、多世帯同居の御殿であるか、離れて暮らす関係にあるのか特定はされていません。

更級日記(1059年)に「越前守のよめ」というそれらしき単語が現れますが、この時には「よめにくだる(下る)」とあって「上がる」ではなく、好ましいことでない様子がうかがえます。

松尾芭蕉の句に「餠花や簪にさせるよめが君」として「よめが君」が登場し、これはネズミのことですが、この当時にはすでに「よめ」が動物の たとえとしても伝わるくらいには普及していることになります。

頻繁に現れるのは明治以降で、樋口一葉・夏目漱石・森鴎外らの作品に漢字のとともに「よめ」と読むであろう表現が多く出てきます。嫁入り、嫁に行くなどがたくさん出てきます。

この頃にはすでに明治の旧民法が成立しているため、法的にも家制度が取り込まれており、の字が定着する頃と見られます。ただし条文としては “嫁スル”(かする) が用いられていてヨメではありません。

ちなみに “嫁ぐ”(とつぐ)は古語では性行為そのものを指し、カナの「よめ」とは別の意味ですから、この字が現れてもヨメの語源とは関係がないと考えられます。しかし樋口一葉の文には “嫁ぐ” が嫁入りすることと同義に扱われており、これ以降で意味が変わっています。

こうしてみるとカナの “よめ” は平安時代後期に すでに言葉としては存在し、結婚した女性のことを指していることになります。そしてこれは第三者が対比表現として用いており、必ずしも親の立場から見た表現ではないことがわかります。

それが 戦乱を繰り返した大陸思想の影響で男系思想が強化され、特に明治維新以降には欧米への対抗意識が高まり、文明開化の名の下に嫁の立場が日陰のものに変わっていく様子が見えます。

では 枕草子よりも前の「よめ」は一体どこから来たのでしょう。

先にも示したとおり平安時代以前は 貴族階級でさえも 婿入りが多数のため、呼ぶ女、寄る女のような男性や男系家族に従属的な表現に語源があるとは言い難いものがあります。

ほかに、当時の単語の中で、「よ」でに続けられそうな語は何があるでしょう。

“選り”(より・えり)は源氏物語には出てきますが「り」はどこに消えたかの問題があります。同様に “良い” は 古語だと “よき” や “よし” なので「き」「し」が抜けているところにやや不自然さがあります。 これらがあるのなら方言などに “よりめ” “よきめ” “よしめ” の言葉が見つからないといけません。”よしめき” は ありますが、これは “由めき” なので違う意味です。

それに「よい女」という表現は婚姻関係を指す語としては漠然としすぎています。昭和平成の観点でいう いわゆる “イイ女” なら男性目線で性的な魅力をもつ女性を言うかもしれませんが、広い意味で解釈すると “善き女” かもしれず、間柄が不明です。

暗くて見えづらい状況で物を見ることをいう“夜目”(よめ)は万葉集にも現れ、の代わりにがついても自然な応用と考えられます。

当時のがつく言葉では他に “夜這ひ”(よばい) があり、文通やすだれ越しの面会を重ねたあとに、男性が女性の屋敷に夜這いをして結婚成立したと言いますから、“夜女”を よめ とするのはそれなりの信憑性はあります。

しかし よめ の立場は何も夜だけではないですので、使い続けられる言葉ではありません。それに夜這いをするのは男性であり、女性は屋敷で待つほうです。

このころの男性は女性を口説くために自分の恋愛感情を 和歌にして 詠みよ ました。現代でも歌手が女性への想いを詩にして歌ったりしますが、この男がうたに詠む女 が万葉集などにたくさん登場します。

(文・歌を)「よむ」「よめる」「よめり」は7世紀ごろとされる万葉集にさえ現れる古いもので、その数も多くあります。「詠む女(よむめ)」なら 「む」と「め」が一体化して消えたとしても自然な変形です。

通い婚とはいえ、一夫多妻が認められており、文通を繰り返しながら関係を継続し、それがやがてここぞと言うところへと婿入りをして同居するスタイルですから、文(ふみ)が途絶えることが婚姻の終了を意味します。

その意味では “ふみに詠む女” が正妻になる前の仮の婚姻状態を言うとしてもおかしくはないといえます。

新しい “よめ”

古典における “よめ” は 明治大正昭和のそれとは異なって特別に男尊女卑的な意味を持つものではありませんが、 それがどうであれ、現状における この言葉の一部での忌避感には 直ちに変化するものではありません。

問題は 後の世代の日本人が そのような思想をすり込んだところにあり、訂正するのであればその部分です。

その答えの1つが漢字の変更です。

魚じゃないのに魚へんが 継いている(ワニ)や、虫ではないのに蛤(ハマグリ)だったり、科学や社会意識の変化によって、構成が不適切と見られるようになった漢字はたくさんあります。

“よめ” には なっても家に閉じこもってもいないし家内性手工業従事者でもないと言うのなら、“よめ”=ではなく それに適した別の漢字を作れば良いと言うことです。これは、ひらがなで書く 古典の意味とは別の次元の話です。

にはにはにはにはがあるように、同じ読みをもつ別の漢字があっても問題はありません。

見ると観る、聞くと聴くでは、対象に対する心の置き方が違うと言います。

いくつか案を挙げてみます。

  • 女+永(女永)
  • 女+甬(㛚)
  • 女+善(嫸)
  • 女+巽(女巽)
  • 女+君(女君)

の字は、“詠む”(よむ)のつくりとったもので“永遠”・”永続” など長く続くことを意味します。

の字は同じく“誦む”(よむ)の旁で、これはと同じで人が歩いて進むことや、花のつぼみを意味します。自分の道を進む、これから才能が開花するというふうに考えられます。

は 善意の善で、周囲の人や社会にとって良いことを指します。これを「よめ」と詠むと、意味も読み方もストレートで わかりやすいです。

は“選る”(よる)からですが、これは 選ばれし者 というニュアンスが込められます。ただしこの字は字源が 台の上に供物を並べる様子を示していて、君主にへりくだると言う意味合いが含まれます。「選ぶ」のが誰なのかによって意味が逆転するので あまり適切でないかもしれません。

最後のは、“君主” “名君” など基本は統治者などのことを指します。 “姫君” “兄君” のように統治者の近親者を指すこともあり、また日本固有の言い回しとして “細君” のように妻を指して言えたり、 弟妹や子供に対して呼ぶこともあります。他人ではなく親しみか尊敬のどちらかの意を込めて使います。

これらの中に、ベストの文字があるかどうかは意見の割れるところだとは思いますが、今の「よめ」の呼称を特に悪意なく用いる人もいるのであって、それを言葉狩りをして悪人のように言うのは短絡的です。

車にシートベルトやエアバッグを取り付けていくように、道具は安全に利用できるように改善していくのが文明と言うものです。

漢字が不適切なら、それに相応しい対案を考えて、お互いに納得できるような形を形にを模索すれば良いのではないでしょうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です