同音異義語の中で個別具体的な例としてあげられる問題の一つに、「しね死ね問題」があります。
例えば「そんなの関係無いしね」→「そんなの関係無い死ね」となる誤変換です。
元の文末の「しね」は「さらに〇〇である」の動作の連続や、または「〇〇である為」という理由づけの意です。
ところがこの「しね」は「死ね」に化ける可能性があり、突如として非常に攻撃的な文になり得ます。
スマートフォンの一部のチャット・メッセージアプリでは、改行すると直ちに文章が送信されてしまうことがあり、うっかり誤変換が訂正されずにそのまま送信されることがあります。
大人であればこのようなミスは、大抵はミスだとすぐに気づかれますが、中高生くらいでは「本当に死ねと思っているのでは無いか」と不安になって落ち込んだり、複数人でのグループチャットなどではこのミスを見た他のメンバーが面白がって同じ単語を重ねるなど集団でイジメに発展するケースもあるそうです。
「死ぬ」という語句は大人は普段使うことは少なく、忌避される傾向がある単語です。
一方若い世代では「非常に疲れた」などの意味で「もう死ぬ〜」などと大げさに言ってみたり、嫌いな相手の陰口で「あいつマジで死ねばいいのに」のような表現を用いることが時々あり、このためスマートフォンの入力辞書もこの単語を常用語として学習しているのです。
若者が好きなアニメやゲーム、小説などの世界でも登場しやすいことから、使うなと言ってそう簡単に制限できるものでもありません。
死なない「しね」記述
日本語において「死ぬ」(しぬ)とは特殊な単語で、現代で「ぬ」で終わる”ナ行五段活用”が用いられる唯一の単語です。
他に「ぬ」で終わるのは「往ぬ」「去ぬ」(いずれも読みは「いぬ」)というものがありますが現代ではほぼ死語で一部方言においてお年寄りが使うくらいになっています。
つまり本当であれば「死ぬ」という単語自体がそろそろ死んでもおかしくない、ゾンビ単語なのです。
この「〜ぬ」という音は、一つは一般的な「〜していない」の意味の否定の意味のほか、もう一つは”風と共に去りぬ” などの言い回しで使われるように「〜してしまった」「〜し終えた」の完了形の意味合いを持つ表現が転じたとも考えられます。
「死ぬ」には「死す」という、より瞬間的な状態変化を意味合いとして強く持つ表現があります。
同じパターンを持つ単語に「期す」「帰す」のように漢字の音読み一時に対して「〜す」としたりします。
これは サ行変格活用 と呼ばれる変化を表す名詞を動詞化する手法の1つの、特に文語で見られる記法です。
現代的なルールでは「検視する」「餓死する」に見られるように、「〜する」をつけるものが一般的です。
これを使って「死ぬ」を「死する」とすることができ、この命令形に従えば「死しろ」や「死せよ」という言い方ができることになります。
もし学校文法で「死ね」は誤りであり、「死せよ」「死せろ」あるいは完了の意味では「死せてしまえ」が正しいと規定すれば、「〜しね」という表現は重複しなくなり呪いから解放されるのです。