認識を惑わす漢字たち

漢字は黄河文明と呼ばれる紀元前の昔、数千年前に生まれたとされるものです。

当時は当然ながら科学が十分に発達しておらず、いくつかの文字には科学的に とらえると矛盾を生じてしまうものがあります。

たとえば「ワニ」を漢字で書くとと なります。

部首は⿂偏(さかなへん)となっていますが、ワニは爬虫類であり魚類ではありません。

また同じ爬虫類でもヘビはで、⾍偏(むしへん)です。

同じヘビの仲間でもマムシはです。

また同じ “⾍” が つく動物でもサソリは、カニは、エビはで節足動物、タコはで軟体動物、カエルはですが これは両生類です。

もともとの字は、ヘビ やトカゲを かたどった 象形文字であるとされます。しかし その適用範囲は あまりにも雑で、もはや文字からは何の生物なのか分かりません。

足があるとか牙(キバ)や爪があるとか尾があるとか、何かルールを特定するのは難しく、何となくそれっぽいものが、生物学的カテゴリーを無視して混じっています。

可能性として漢字の形状から考えられるのは、体に対して大きな目玉を2つ持つことくらいでしょう。ですが土中におり目の退化した虫、例えばミミズは “蚯蚓” と書くように、これに当てはまらないものも いるため、定義としては的確とは言えません。

他にも“蛤”(ハマグリ)とか “浅蜊”(アサリ)などというものもあります。呼吸のための取水管を目だと勘違いしたのでしょうか。

他に “蝟集” などという言葉もありますが このとはハリネズミのことを言います。これのどこに共通項を求めれば良いのでしょう。

の集まったという いかにも気分が悪くなりそうな文字もありますが、もしかすると多量のアサリかもしれないわけです 。

生物せいぶつの分野では これらは基本的にカタカナで記載することになっており、専門的な世界では強いて漢字は必要ありません。
また特に都会で育った世代には日常で自然生物を話に出すことも無く、日本で漢字表記をする必要性は あまり ありません。

また同じ虫偏でも、などは 空気中を舞う水滴に太陽光が当たってできるもので、虫が工作したものでは ありませんし、「虫=生物」という大雑把な くくりでとらえても科学的に正しくありません。

このような分かりにくい漢字が国内で使われる分野は主に、文学・詩やアートの世界です。

が、若い世代や日本語を苦手とする人にすれば読みづらく、文字を見ただけでは それが何なのか直感的に判断ができません。それに加えて 現代的には誤った科学知識に基づいているものもあることから 現代で使うと むしろ品格を落とす懸念すらあります。

略体の誤解

のような字は そのままの字形を古くから残していますが、中にはその形が変形しているものもあります。

顕著な例としては(にくづき)が挙げられます。

これはなど、主に人間の体の一部を表す部首で、の形を単純化したものです。「肉月(にくづき)」という名称はそこから来ています。

このことについては小学校で学習することですが、何らかの理由で覚え損ねる場合があります。単純に勉強をサボっていたかもしれませんが、病気などで学習機会がなかったり、もしかしたら漢字圏外の外国からの移住者かもしれません

そういう人の中には このを空に浮かぶと同じものだと理解している人がいると言います。じっさいそのせいか、親が子供に名付ける際に使用する人名用漢字の中に、というような文字を使用したいという要望があると言います。

は一見すると「月の光」のように見えるのでキレイなようですが、実際には「肉の光」で、尿が溜まり光る内臓のことを指し、“膀胱”(ボウコウ)のコウでもあり、決してキレイなものではありません。にしても「月と星」のようですが、日の下にさらされた未処理の生肉(なまにく)を表しています。

つくりとして右側に来るや、仲間を意味するなどはポジティブな意味を持ちますが、他に使われるは必ずしもそうではありません。

同じような問題で、を表す(りっしんべん)や(したごころ)はと誤解されやすく、を意味する(ころもへん)もなどに使う(しめすへん)と間違えられます。⼿を意味する(てへん)やを表す(けものへん) も才能のと紛らわしい字形をしています。

そういう漢字の字形や部首について誤解がする人がいるのを 単に、無学だ、DQNドキュンだ などと言って批判するのは簡単ですが、そのような誤解を生じるような字形を改良せず放置しているのも前例主義的で非建設的な態度ではないでしょうか。

現代のコンピューターの普及状況があれば、の字形を もっとと認識しやすいような形に変形することは難しくありません。より複雑で画数が多い漢字でも変換でスグに打ち出すことができます。

戦後に行われた国字改革の中には必ずしも好ましくはない改訂もあり、様々な批判もあります。それからさらに時代が流れ技術も発達したのですから、手書きでの書きやすさよりも、理解しやすさを重視して文字を考えることこそが、漢字文化を守ることにつながるかもしれません。

絵文字

日本が生み出した新しい文字の1つに絵文字というものがあります。

これは初期の携帯電話の中で、通信データ量を少なく抑えつつも かつ漢字カナでは表現できない豊かな表現をするために考案され、今では世界中の人々が これを使用しています。

前述のような科学的に間違った漢字を当てられた動物にもメジャーなものには絵文字が割り当てられています。

以下に例を挙げます。
(お使いの機種やシステムによっては違う形状で表示される可能性があります。気になる方は別の機種でご確認ください。)

  • ワニ = 🐊
  • カエル = 🐸
  • ヘビ = 🐍
  • カニ = 🦀
  • サソリ = 🦂

現代は、紙とペンの時代からコンピュータへの入力への移行期です。

コンピュータの扱いに慣れている人であれば、ペンで書くことが簡単では無い このような図形やカラー表示も たちどころにして描く(えがく)ことができます。

これらの絵文字を漢字の代わりに まるまる置き換えることは印刷や表示機器の都合上 不可能ではあります。

しかし勘違いされた漢字を生かし続けるよりかは遥かにマシな選択かもしれません。

そもそも書けない場所では無理に漢字でなくてもカタカナを使えば良いのです。
そうした方が圧倒的に多くの人が読むことができます。

生物を示す漢字には、ほかにトカゲは “蜥蜴” 、カマキリは “蟷螂”(トウロウとも読む)、クモは “蜘蛛” (チシャとも読む)のように、虫が2つも ついている漢字もあり、読むにも書くにも簡単ではありません。

こういった漢字を読み書きできことを知的と考える人も いるかもしれませんが、それは単に自己満足の世界です。

漢字には、いわゆる古事成語や古代中国の漢詩を元にしたものであったり、それぞれ何かしら その文字が作られたストーリーがあるもので大切にすべきものという意見もありますが、それはあくまでその作者による価値観なのであって、必ずしも現代の先進的な科学や世界標準的な価値観には適していないことが多々あります。

それと比較すれば絵文字の場合、それが何なのかを子供でも理解することができます。

ヘビやトカゲの中には毒を持つものも あり、それらに触れたり近づくのは危険です。好奇心旺盛な子供がそれらに近づかないように教えるには、文字て書くより絵で描いた方が効果的に伝わります。

印刷や入力装置の制限が無いのなら、どちらが機能的に優れているかは明白です。

芸術的生物漢字

ここまで生物(セイブツ)の漢字について批判的なものを挙げてはいますが、それはあくまで間違いが比較的ハッキリしている ものについてです。

たとえば魚ヘンを詳しく見ていくと、シャチはと書きます。

厳密にはクジラの一種であり哺乳類ですから、魚ではありません。

とは言うものの、獣偏(けものへん)とするのも不自然です。

「けもの」は その音が示す通り むくじゃらの野生動を指す語で、海中に住む毛を持たない生物にこれを使うと、どのような生態を持つものなのか判断が付きづらくなります。

魚偏は「 海や川の水中に住み、基本的に地上を歩かず、ヒレ(のようなもの)を持つ生物」という分類なら比較的まとめやすい部類です。(のような例外を除いて)

空想上の、シャチホコの方から来た文字かもしれませんが、+という組み合わせは、実際の姿と獰猛(どうもう)な食性など かなり的確な表現になっています。

当て字

同じクジラの一種でも、近い系でイルカは、「海豚」と書きます。

これはいわゆる当て字であって、元々の音訓とは乖離するものの、海に住む哺乳類であると言う生態は比較的よく表しています。

先ほどからクジラと書いているは その文字の成り立ちを理解するのは ななかなか困難です。

一説では 京つまり ミヤコのように大きく黒白(くろしろ)の魚という意味だと説明されます。の字は分解すると古くは人が作った丘や石垣の上に作られた建築物を示した字で、と近い意味を持ちます。

しかし大きいのなら素直に+とか+でも良かったはずです。音と近づけるなら「黒城魚くじら」とか「巨神魚くじら」などでも良いでしょう。

の字が建築物を意味しているうちは 良かったですが、今では 北京・南京・京城・東京・京都のように、と言えば大きさではなく都市としての意味合いが 勝さっていて、巨大さの表現としてはかなり遠回りです。1兆の上の1京という数の表現もあるものの、あまり常用するものではありません。

読みやすさ、理解しやすさ という観点で考えた場合は カタカナや絵文字には もはや 到底 勝てません。

クジラには🐳、イルカには🐬、どちらも絵文字があります。

もう少し範囲を広げてみます。

魚の中でもサンマは秋刀魚、エビなら海老、ヒトデなら海星、セイウチは海象、
このように多様な表現の組み合わせが存在しています。

これらは同じ漢字でも比較的な簡単な文字によって表現されており、ひとつひとつの文字に ついては 小学生でも知っている文字です。

(イワシ)や(ウナギ)、(マス)、(カレイ)、などはクイズにするには面白いですが日常で使用するには極端に複雑でわかりにくいものです。

サンマを秋刀魚のように3字で書くことが許されるのなら、他も1字に こだわる必要もありません。

つまり芸術の分野なら、既存の文字にとらわれることなくもっと自由に組み合わせれば良いのです。

極端な話、カマキリは別に “鎌切虫” でも間違いではありませんし、サメは “殺魚” でも “裂魚” でも良いのです。

ですがこれらの文字をずっと残す必要があるのかは少々考えものです。少なくとも常用的な範囲からは除去した方が良いでしょう。

ここでの常用とは単に常用漢字という意味ではなく、一般によく使用されるコンピュータの漢字変換システム(IME)を指します。

たとえ日本語の国字、常用漢字の範囲から削除されても、IMEから削除されなければ、インテリ気取りが副作用を考えず、変換で出てきた分かりにくい文字を安易に選択します。

このような難読漢字を使うことは、本人は知的なつもりかもしれませんが、手垢のついたような古めかしい漢字、それも機械が自動的に候補に挙げたものを安易に使うことは何ら創作性が無く幼稚なものです。

機械に思考をコントロールされているとも言えます。

こういった創作性、クリエイティヴィティを損ねるような過剰な漢字変換を実装することは好ましいものとは言えません。

標準の漢字変換ソフトからは取り除き、プラグインか何か追加機能的な扱いとしてしまった方が、円滑なコミュニケーションを図るはかる意味でも、変換速度の向上という観点でも役立つでしょう。

時代に沿った漢字を

漢字発祥の地であり漢字を主として使う中国では、そこに様々な変更を加えています。

また日本をはじめ台湾や地域ごとにそれぞれの地域のニーズに合わせて異なった適応がされてきました。

たとえば先に挙げたような魚編を持つ漢字は、多くが日本で生み出された和製漢字です。もともと中国大陸内地では日本ほど魚を食べる機会がなく、日本や周辺の海洋国が自国の都合で作ってきたものです。

古い特定の書き方にこだわる必要は ないのです。

中国では 近年でもなお、新しい漢字が 創作されています。例えば 2004年ごろに発見された新しい化学元素のニホニウム(Nh) は、という科学記号漢字が使用されています。金属を表すに「ニ」を表す声符が付いたものです。

などと同じなので、「何かは分からないが発音は想像がつく」という長所はあります。しかし漢字には会意字という音が同じでないものも多数あり、絶対ではありません。

日本語にはカタカナという表音字があり、音を説明する必要があれば絵文字にフリガナを付けてもよく、好んで漢字を使う理由には当たりません。

漢字が絵文字より優れるケースがあるとすれば、その情報が十分に抽象化されていることです。たとえばという字は人間を表しているものの、性別や体格や肌の色などの詳細な情報は捨てられています。絵文字で“👨” などをつかうと 特定のタイプを意味してしまい、詳解度が高すぎることがあります。

逆に言えば、詳解度が高く 個別具体的な分類を示すような漢字は、絵文字など他の表現方法でじゅうぶん代用できます。

ましてや 一部の利益団体のために、その他の学問に取り組む時間を犠牲にして 学ぶような必要はありません。いまなら写真を撮影したり、他にもっとよい手段が たくさんあります。

現在日本で使われる漢字は、その発音が中国語とも大きくズレており、随所にガラパゴス化が見られます。

生物学や外国語との関係性、現在の文化的標準など総合的に考えつつ、もっとも理解しやすく正確な文字の組み合わせ方を考えていくべきでしょう。

まずは過剰に氾濫した難しすぎる漢字や それを秩序なく無限再生するソフトウェアに対しては 批判的に距離をとることが大事です。

難しい漢字を書くことは、今やコンピュータが自動ですることであり、特別な人間としての能力ではないのですから。