未成年外国人の就学不明問題

日本語を学ぶことの難しさによって最も深刻な被害を受けている人、それは日本国内にいて、外国にルーツを持つ子どもたちです。

外国にルーツがあると言うのは、両親のどちらか または両方が 外国籍であったり、日本国籍ではあるが幼少期を国外で過ごしていたことから日本語の教育を十分に受けていないことを言います。

大人たちが自分の都合で日本に移住したケースとは異なり、子どもの場合は自己責任と言う言葉で片付けるわけにはいきません。

日本に移住した外国人同士の間に生まれた子や、日本人との間に生まれた子であったり、または母国で子どもを親に預けて出稼ぎのために来日したが、祖父母の病気などで子も来日しなければならなくなったなど、状況は様々ですが、いずれにしても子ども本人で解決できない事情によるものです。

義務教育から外れる子ども

もともと日本では義務教育の制度があり、小中学校の6歳から15歳までなら基本的にすべての子どもたちは無償で教育が受けられ、親はそれを与える義務があるりますが、外国人の子どもと なると その “義務” は曖昧なものとなります。「希望すれば受けられる」と言ったもので、自主的に親がその手続きをしなければ教育を受けられないまま放置されてしまうと言う事案が少なからずありました。

学校側や地域の民生委員などの社会福祉組織に運良く見つけてもらえれば、手続きが進められ学校に行くことができるものの、家にずっと閉じこもっていたり、親の仕事の都合などで深夜早朝にしか出入りしていなければ誰も気づかないままということもあります。

学校教育を受けないままになってしまうと日本語の学習が進まず、社会から孤立してしまいます。どちらかの親が積極的に日本語を教えていれば良いですが、仕事が忙しいなどの理由で十分に学習が行き届かない場合があったり、元の国の言葉でしか会話しないこともあります。

テレビなど日本語の放送を受信する機械設備があると一応簡単な日本語の会話はできるようにはなりますが、文字が読み書きできず、文法も理解できないままになり、大人になっても就労できる場所がかなり制限されることになります。仮に帰国したところで同じです。

そうして行き場を失った人たちは、生活のために人のものを盗んだり時には強盗なような暴力行為につながったり、反対に自分を責めるようになると自殺に追い込まれたりするしかなくなってしまいます。言葉の問題は命の問題となり、だんだんと時間が経つにつれて人道的な問題と治安維持の両面において、放置しては置けない問題として表面化してきたのです。

こういった問題は各地で対策が進められてはきてはいるものの、人材や資金不足、教育機関への移動距離など物理的な制約、さらには外国人に対する偏見から地域住民の協力が得られないことなど、様々な障壁が重なってまだまだ解決には至ってはいません。

文部科学省の2019年の調査によって、就学中にあるかどうかが不明な児童は全国で約20,000人程度がいることが明らかになりました。

・外国人の子供の教育の更なる充実に向けた就学状況等調査の実施及び調査結果(速報値)について – 文部科学省
https://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/31/09/1421568.htm

それが政策として型になってきたのはようやく2020年のオリンピックを目前になってのことです。これが外国人児童生徒等の教育の充実に関する有識者会議報告書として取りまとめられました。

このあたりの動きは毎日新聞の特集記事が詳しいですが、現在もまだ進行中の課題です。

人材不足とその未来

日本ではもともと外国人の移住者は少なかったということもあって、外国人に対して日本語教育ができる人材が豊富なわけではありません。それでも日本で日本語を学ぶ外国人は数十万人がいるとされますが、それは母国の言葉を理解している大人や大学以上の留学生などが主で、まだ母国語を言語習得前や途中であったり、自己表現がうまくできない児童を対象に教える場合は、単に言語の知識だけではなくそれ以上のものが求められます。

また使われる言語も様々で、英語や中国語、韓国語など日本でも比較的話者の多いものに限らず、タイ・ベトナムなど東南アジア系や、スペイン語などのラテン系、イスラムやアラビア系など様々です。英語などの主要な言語を既に学習済みの大人であればそれを介して説明ができても、子どもにはそういったこともなかなか期待できません。

この指導をこなせる人材には余裕はなく、特に地方ではさらに厳しいものになります。学校に行きさえしていれば大丈夫ということでもなく、教員が教えようにも教えられない現場もあり、言葉が分からないまま置いてきぼりにされてしまったりする例もあります。

不就学の児童だけでなく、就学していても事実上勉強になってない子どもの対策もまた不十分であるということです。

しかし、希望がないわけではありません。
そのひとつはインターネット回線が普及し、設備も比較的安価で整うようになったことです。特に2020年からはコロナショックの影響もあって、リモート会議など遠隔でやり取りすることが世界中で大きく普及しました。

ですから現場で言葉が分からない児童生徒がいても、ネット越しに専門家の助けを借りることができます。資料や教材、子どもたちが書いたものや録画映像や音声など、お互いにデータを送り合うことも可能な環境が広がってきています。

先の報告書の中でもICTの活用は項目として挙げられており、教員不足の解消に向けて進みつつあるという状況です。

精神的な課題

学校や関係者の支援にもかかわらず、親の側が日本の教育を望まない場合もあります。

大きいのは金銭的な理由です。移住した年齢にもよりますが、学校だけで十分でなく、集中的な日本語教育をしてくれるスクールに追加で通わせる必要がある場合もあります。また高校生以上の年齢になると、義務教育ではなく学費を払って高校に行く必要があります。

親が日本の教育に価値を感じなければ、勉強よりも家事など労働などを優先することもあります。2015年の調査で、日本国籍で15歳から19歳での就労率は14%弱ですが、外国籍だと20%弱となり多く、さらに就労も就学もしていない割合は8%と、日本人よりも割合が高くなっています。そもそも高校に行くためには入学試験をクリアする必要があり、日本語の入試しか対応していない学校には合格しませんから、入りたくても入れない人の場合もあります。

根本的な問題として、そもそも日本語が難解で学習負担が高いこと(特に非漢字文化国)、日本国外において通用せず局地性が強いこと、将来の人口減少により市場縮小が確実視されていること、外国人に対する扱いが悪く賃金待遇において冷遇されることなど、知れば知るほど言語の将来性に疑問がつき、学習意欲を削ぐような問題が横たわっています。

だからといって代わりに日本人の側が、移住者の国の外国語を何種類も覚えることは現実的に無理ですから、日本にいる限りは日本語か せめて英語を覚えてもらっていないと お互いに困ることになるのは明確です。しかし親が、いつか帰国しよう、別の国に行こうという気分であれば、高いコストをかけて学ぶ価値を見いだしにくいというのは重い課題です。

今はまだ、日本人に余裕がありますが、これから2030、2040と年が過ぎるにつれて日本の高齢化率はさらに高まり、労働力に対する社会保障負担が高まることは確実なのです。少なくともあと20年くらいの間は、改善どころかより厳しくなっていく可能性が高いと考えられます。同じ国の出身者が増えればお互いに協力もできるかもしれませんが、それに期待するには何十年かかるかわかりません。

せめて、日本語学習そのものに関しては、教える方も学ぶ方もできるだけ負担が小さい方が良いでしょう。

カタカナのとひらがなのは見た目がほとんど同じで子供を混乱させる文字です。極端な話、カタカナなどは例えば のように少し傾けるなどで済ませれば必要のないものです。ファ・フィ・フ・フェ・フォのようにカタカナを子音のように使えば、実は覚える文字は半分でも外来語表現はできます

という字は「フツ」と読みますが、同じのパーツを持つの字は「コウ」と読みます。なぜそうなのかといえば、の旧字体はであり、“沸騰”(フットウ)のと同じつくりで、いっぽうの旧字体はと同じだからです。こういう昭和の時代の手書き重視の漢字の簡略化によって、本当は調べなくても読み方の見当がつくような文字も丸暗記しなければならない状態になっています。

今の時代、読み方さえわかればケータイで簡単に漢字変換は可能で、同じ漢字を何度も何度も繰り返しノートに書きうつす写経のような漢字教育は もはやあまり意味がないことです。

全部は無理かもしれませんが、簡単にする工夫は必要でしょう。外国人が日本語を学ぶスピードが上がれば日本の豊かさにもつながることですし、日本の子どもたちも余った学習時間を外国語や別の勉強に振り向けやすくなります。

時々こういう問題を見ると悲しいことに、外国人が日本に来るのが悪いというような声も出てきます。しかし、日本に来た外国人は労働力という側面に限らず、きちんとコミュニケーションがとれれば、彼らの母国について知るきっかけができ、日本人が国際教養を身につける上でも勉強になる重要な人材です。こういった点については日本人では代わりは務まりません。日本に対して良い感情を持つ外国人が増えることは他の国際的な課題解決にも意味があります。それを受け入れるということが お互いにとって利益になるというものです。