- 乗る:乗せる
- 載る:載せる
処方箋
- 乗る:乗せる → のる:のらせる/のらす
- 載る:載せる → のされる:のしる/のす
解説
「乗る」も「載る」も 大和言葉の域では どちらも同じ「のる」で あって、何かの上に 別の何かが 位置する と 言うことに 過ぎません。
本来は この2つを 区別する 必要は 無かったのですが、これも時代の変化に伴って 意味が変容しています。
「乗る」は 主として 人や 動物が 車などの 乗り物の 上に 置かれた状態になることを 言いますが、ほとんどの場合は 自分自身が 「乗る」ときに使うもので、「乗せる」という 表現は まれです。
「車に荷物を乗せる」という記述も完全に間違いとも言えませんが、この場合は「車に荷物を載せる」の方が適切です。「積載する」とも言い換えられます。
一方「載る」は「新聞に載る」とか「ニュースに載る」の ような事故事象が 自然発生的に 見ず知らずの 権威的な 第三者に よって 取り上げられることに もっぱら使われますが、通常は「載せる」の 方が使われる頻度は高いと言えます。
「載せる」は もともとは ニュース記事を書いたりする 新聞記者らの特権的な行為でしたが、 インターネットの普及により、 誰でも 自分の考えを Webサイトや SNSなどに「載せる」ことができるようになり、使われる機会が大きく増えた言葉の1つです。
ここから、「乗せる」のほうで使われる「(ベビーカーに)赤ちゃんを乗せる」などの表現の居場所が 怪しくなっています。自身のSNSのタイムラインに載せるわけではないのです。
「載せる」とは「載る」+「〜させる」の使役の助動詞と結合した「載らせる」が さらに縮んで一体化したと見ることができますが、「載る」が かつての権威たる大いなる手から解放されて、市民の手に戻った今、「載せる」は 「載る」から 離れて単独の 他動詞として 自立すべきです。
要は、車に荷物が自分から勝手に「載る」ことがないのと同様に、事件が勝手に記事に「載る」ことも無いのならば、自動詞の「のる」が不要になると言うことです。
これを 端的に表現したのが 「載る」あるいは「載す」と いう 言い回しです。
このうち「のす」は既に 一部に方言や 略語としては 使用されているものですが、「伸す」「熨斗」などと多少 かさなる部分があることからすると「のしる」のほうが わずかに 衝突回避が強くなります。
「走る」「謗る」「知る」など「○しる」の五段活用する動詞は他にも ありますが 比較的衝突のない安全地帯です。
「のす」あるいは「のしる」という他動詞ができると この受け身の形としては「のされる」「のしられる」という形となります。自分ではない誰かが 自分の記事を 再掲載や引用したケースではこの「載される」「載られる」ということができます。
別解としては「載せる」は そのままに「乗せる」を排除する方法も考えられます。 これが「乗らす」「乗らせる」とする言い回しです。
「(ベビーカーに)赤ちゃんを乗らせる(のらす)」という具合です。
「乗る」という自動詞に対し、使役の意味が付いたものとしては「乗らせる」がもともと正しいのですが、ここで ら
を省いた「乗せる」の方が 短くて使い勝手が良いものです。
ですが 赤ちゃんをFacebookに載せる のと、チャイルドシートに載せるのとでは大きく意味が違います。こんなときに「乗らす」が字数も短く便利になります。「Facebookに乗らす」とは言わないからです。
「乗らす」は あまり 一般的では ないかもしれませんが、時折 使われる表現です。「枯れる」に対する「枯らす」、「照る」に対する「照らす」のように、「らす」には自然な変化や第三者の行動を容認する態度がニュアンスとして含まれます。
載せるも載らせるも一緒だと言う 考えもあるかもしれませんが、このあたりの区別をしないで おくと その利便性の問題から「UPる」とか「shareる」のような奇抜なスラングが 標準になってくるかもしれません。
もちろん漢字を変えて「上網る」のような新たな造語を 生み出しても良いのですが。