“煮る” と “似る” はどちらも動詞ですが、“煮る” の方は「野菜を煮る」などのように具材を伴う単語が前に来ることが多く、“似る” の方は「〇〇さんと似ている」のように対象となる人物や物事に「と」か「に」の助詞を伴いやすいという性格があります。
とは いえ「AにBを加えて煮る」のように何か単語が間に挟まるとそのあたりの連関が崩れてうまく変換ができなくなります。
煮
の字には“煮沸消毒”などで使う「シャ」の音がありますが これは者
から連想された慣用音で、古い読み方では緒
や署
と同じ「ショ」の音を持ちます。
上の部分が老
や考
と同じに見えますが、旧字体では煮
と書き、日の右肩に点を持つ異なる部首です。木の枝など材料を集めて器に乗せて⺣
(れっか)つまり火に かける様子を示しています。
分かりやすさの観点で言うと者
煮
諸
渚
堵
都
著
暑
は いずれも同じ音であるべきとの見方もできて、実際には中国語の読みでもそれぞれ違っていたりするので話は簡単ではありません。
「ショする」とか「シャする」のような 音読+スル の表現はかえって問題がヤヤコしくなるので避けた方が良いでしょう。
その代わりに「煮る」には同種の表現として「煮やす(にやす)」があり、「業を煮やす(ごうをにやす)」などの慣用表現として実績があります。
自動詞の “燃える” を “燃やす”、“冷える” を “冷やす” として他動詞とするのと同じく自然なやり方です。
他には “入る(いる)”から “入れる(いれる)” への変形例にならって、“煮る” を “煮れる” とすることが考えられます。 “入る“ は「はいる」と読むことが多いですが “入り口(いりぐち)” や “大入り(おおいり)” などの語に見られるように古語では「いる」です。特に現代仮名遣いで “要る” や “射る” などと区別しづらいため「はいる」が積極的に用いられるものです。
もう一方の “似る” を変化させる場合はどうでしょうか。
こちらは継続を表す「〜ている」をつけて「似ている」という言い方もよく使われます。それと同時に「似通う(にかよう)」「似ても似つかず(につかず)」「似せる(にせる)」「父親似の(ちちおやにの)」など “似” を単独で使用する単語も多くあります。つまり後ろ側を いぢると扱いづらくなります。
おそらく一番簡単なのは音読みの「ジ」を用いて「ジる」とすることでしょう。
音としても近く、“相似(そうじ)”、“類似(るいじ)”、“擬似(ぎじ)” などで この読み方はすでに広く使われており、新たに覚え直す手間がありません。単に漢字登録してしまえば使うことができます。
ただし “じる”という動詞が生まれると、“生じる” “感じる” “動じる” などのように [単一漢字の音読]+ジル という表記と衝突が生じる可能性があります。これに関しては “生ずる” “感ずる” のようにして ズル の方を用いるようにすると問題にはなりませんが、二重で気をつけないといけないで少し不便です。
代わりに考えられるのが語頭に意味を具体化する音を付け加えることです。
これは “入る(いる)” に対する「はいる」や、 “擦る(する)” に対する「こする」や、“描く(かく)” を「えがく」と読むのと同じで、元の語からほとんど同じ意味を持つ別の語に同じ漢字を当てたり、ある語の前によく使用する語と合体させて一語としてしまう方法です。
“似る” を用いる対象は 形・姿・身・意 などですから、それらから音を借りてくると「かたにる」「すがたにる」「みにる」「いにる」などの語を作ることができます。
このうち頭に何か文字を補わずに自然に読めるとすれば “似る” が適しているのではないでしょうか。「みにる」は「ミニる」としてカタカナ語で 小さくなるかのような誤解を招くのでよくありません。
4拍の「かたにる」はギリギリセーフかもしれませんが “形似する” という熟語も既にあり「形似る」と書く方が自然です。5拍の「すがたにる」までなると「姿似る」と書きたくなります。「姿煮」などという言葉もあるので ますます分かりにくいです。
他にも似
の字には他にもいくつか特殊な読みがあり、“似非”と書いて「エセ」と読んだり、“真似”と書いて「マネ」と読んだり、 人名や地名としては “似内” と書いて「にたない」と読む場合があります。
「ネ」や「エ」は“寝る” “得る” と重なるので使えませんが「にた」に関しては「にたる」という言葉は現代語では無いのでこれを使うことは可能です。