「聴く」は「聞く」よりも自主的、積極的に中身を感じ取ろうとする態度を持っていると言われます。
漢字の中に心
の字が含まれているので単なる感覚器である 耳
よりも深いと言うことの ようです。
(ここでいう心は現代の心
では無く、“中心” などにみられる「まんなか」という意味合いです。)
とはいえども “聴覚” など、果たして どこまで深く届いているか疑わしい語も あります。
音声で読むと どの「きく」も明確なアクセントがないので全く区別がつきません。
このタイプの衝突は代替音を積極的に用いることで 現在の読み方自体を避ける方向しか取りようがありません。
「訊く」は 、相手の行動の意図など他人の言質(げんち)を取る意味合いがあり、どちらかというと時々やや古い作家などが使う程度であまり使われません。
もともと “訊ねる”(たずねる) の読みがあるため、“訊く”(きく)は 非推奨(deprecated)扱いにすべきでしょう。
( たずねる にも 訊ねる・尋ねる・訪ねる がありますがこちらは別の方法で対処します)
“利く” は「気が利く」「鼻が利く」「目利き」「左利き」など人の能力が利活用されていることを表しています。
音が一般的で 誰でも読めることを考えると “利する”、“利す” のどちらかに寄せるのが最も簡単です。
ただし「左利き」を「左利し」(ひだりりし)などと 体言にして いうと「左利子」のように聞こえてしまうので、このようなケースでは「左利せ」(ひだりりせ)とすると衝突が おこりません。
使役 "左を利させる" の体言 "左利させ" の省略のような形をとりますが、「私は左が利きます」を「私は左を利かせます」とし、さらに「私は左を利させます」、発展させ「私は左利せです」としても説明はつきます。
“効く” は 効果がある・効用がある という意味で、これはそのまま熟語にするのが最も簡単なように見えます。
しかし “効果” については “高価” “高架” “降下” “硬貨” “校歌” “工科” のように、合拗音 廃止の影響もあって多くの同音語があります。“効用” にしても同じで “紅葉” “高揚” “公用” “光陽” があり、誤解を防ごうと言い換えたつもりがうまく機能しないということもしばしば起こります。
つまり「コウ」と読む音と、「きく」と読む訓読みの両方に問題のある文字なのです。
1つの解決としては “効す”「こうす」「こおす」または“効ずる”「こうずる」のように、音読みに「〜す」または「〜する」を補って単独漢字動詞とすることです。(「こうする」は「このようにする」と解され得るので この語形では使えません)
この形は “抗す” や “講ずる” などと衝突がありますが、それぞれ “抗う”(あらがう)や 「講義を開く」など同音が起きない言い換えは他にもあります。
“功す”(こうす)とは 仮に取り違えても概ね意味に差はなく支障はないと考えられます。
発音時に関してだけ言えば、2字しかない 「きく」と比べて 字数が増えることでアクセントをつけやすくなります。
つまり「こ↗︎うず↘︎る」「こ↘︎うずる」「こう↗︎ず↘︎る」のように振り分けられます。このとき「こおずる」「こうする」「こうずる」のように、アクセントの位置に応じて使用するカナを変えるという技法が考えられます。
一般に「こう」と「こお」はそれぞれ古典仮名遣いの「かう」と「こほ」に対応した昭和仮名遣いですが、「アクセントがある場合はお
を積極的に用いる」とすると表記と表音の両方に効果があります。
もうひとつ考えられるのは “効く” に関しては 誇張して よく「きっくぅ〜」のように間に促音を入れて読まれることが たまにあり、これは “聞く” でないことが明確になります。このような言い方は俗語ではあるのですが、実は古典的です。
“石器” は「せっき」と読みますが、文字を1つずつ読む場合は「セキ」と「キ」に分解されます。昔の中国的な読み方で末尾に母音のない漢字は多く、 sek + ki のようになっていたものが、日本のカナでは 子音だけで終わるような文字がないことから、sek + i + ki であると解釈して母音のない字に適当な母音をつけて普及したものは時々あります。
「効く」と書いて「きっく」と読むのを先進的事例として受け入れたとして、この発音を書き起こすと kikkuです。ここに母音を足すと kikiku と書くことができ、これは「ききく」となります。この調整により、俗語から、自然な日本語の形へ昇華させることができます。
「たたく」「つつく」「そそる」「すする」「かかる」など、同音が連続する動詞はすでにいくつかあり、日常語となっています。この中に新しい日本語が1つ増えるのも良いかもしれません。