実のところ、書く・描く・掻く・欠く は元を 辿ると 全て同じ意味です。
「かく」は 太古の昔の 大和言葉の ひとつで、ちょうど土器に 指で 模様を 書いていたことに 同じ意味があり、何か物を 手や指で こすりとるような 動作のことを言います。
犬掻きなど 水を「かく」動作に使われることもあります。足だと「ける」と言いますから 基本は 手で 行うものを さします。
「欠く」に ついては 本質的な動作は同じですが、 土が 剥がれ落ちた 結果のことを言うので 時間的に異なっています。この語は通常「欠ける」とするほうが一般的で 「かく」との読みが仮に常用外でも さほど混乱はないでしょう。
また「描く」に ついても 明確に区別する時は 「えがく」と 言うことが良く使われるので こちらを 主として使えば あまり影響はありません。
問題は「書く」ですが、これはあまりにも現状と 言葉の本質がズレ過ぎています。
「書く」の書
の字は、日本人が行う「かく」と、一対一で対応しているとは言い難いものがあります。
「文書」「書類」「書面」「請求書」などなど、書
の字が指しているのは 文字を連ねることで何らかの情報を記録することを言っています。いずれも手で行うか どうかは関係ありません。
ほんの 数十年前の1900年代後半までは、特に漢字が多い日本語で 和文タイプライターを扱えるのは一部の専門職の人だけで、「書く」と 言えば 鉛筆やペンで行うものでしたから、その時代までは「かく」=「書く」は正しかったでしょう。
しかしその後、 安価なプリンターや ワープロソフト、漢字変換機能が充実してきてから だんだんと 手書きから タイピングへと移動が進み、インターネットの普及で 爆発的に利用者を増やし、2010年くらいになって 携帯電話やスマートフォンが 年齢を問わず 使われるように なってきてからというもの、日本人が 作文する手段として 手書きを用いるケースは格段に数を減らしてきています。
文化庁などの言葉を借りると、このように機械を使って作られた言葉は「打ち言葉」と呼ばれ、「書き言葉」とは別なものとして扱われています。
古い言い方で文筆家のことを「物書き」と呼んだりしますが、いま一体どれくらいの人が 本当に素手で字を「書いて」いるのでしょうか。
今でも 券面にサインをしたり、ちょっとしたメモを取るのに 手書きを使うことは あるかもしれませんが、このことの本質は 「署名する」「記録する」であり、「かく」ことではありません。状況によっては サインではなく ハンコを押したり、スマホのカメラで撮影することで代替が可能です。
こうして 単語の本質を捉えた時、この書
の字に「かく」という読みを 与えることはもう時代遅れではないかと言う考えに行き着くことになります。
よって情報を記録すると言う意味においては「書する(しょする)」として、手の動作である「かく」とは 切り離してしまった方が 元来の意味に近づく可能性が高いです。
ペンや鉛筆で字を “書く” のは手偏のついた “描く” の方を使えば良いのですから。
とはいえ「描く」の方についてもデジタル化でかなり進歩していることも確かです。
特にアニメーションの世界では1コマ1コマ全て描いていては大変なので、開始地点と終了地点を指定してその中間についてはコンピュータで自動生成したり、スピードなどのパラメータをキーボードで入力したり、タイプして絵を描く場合もあります。これは必ずしも「かく」とは言えません。
よってこのような場合は “描く”を「えがく」と呼んだり、あるいは熟語で“描画する”(ビョウガする)と言うこともでき、ここから取ると“描する”(ビョウする)という言い方があっても良いかもしれません。
「掻く」については 唯一根源的な意味を維持している漢字の読みです。これについては変更の必要はありません。
この字は音読みでは「ソウ」あるいは古くは「サウ」と読みますが、“掻する”(ソウする) と すると「そのようにする」と言う意味と かえって紛らわしくなります。
区別したい場合は “引っ掻く”(ひっかく) 、“掻き毟る”(かきむしる)、“掻き擦る”(かきこする)などの言い換えが考えられます。