人と人とが顔を合わせることを「会う」といい、古来より区別の必要のない言葉でした。“会合”(かいごう)という言葉もあり、この2字は 互いに意味が近いものです。しかし漢字では別です。
会
の旧字は會
で、この字は訓読みで「あう」のほか「あつまる」とも読み、人々が屋根の下に集まる様子を表しています。たまに古い文書で “會社”(かいしゃ = 会社)などの使い方を 目にすることが あるかもしれませんが、まさに人が集まって働く場所を言います。
一方の合
は器や穴にフタをした様子を表しています。米などを測るときに言う “1合” という単位があったり、“合致する” など 何か 物事が ぴったりハマる、ちょうど良い様子を表しています。
合
の字には訓読みの「あう」の他に 音読みでは 「ゴウ」や “合体”(がったい)などに見られるように「ガッ」とも読みます。
「合う(あう)」の文脈では「合する(ガッする)」とすることができます。
また「あわさる」とも言うことができます。「あわす」「あわせる」では会
の字の使役で「会わせる」など言うこともあるため区別不可ですが、「あわさる」は「あわす」+「される」の短縮系であり自動詞のニュアンスを もち、合
の意味でしか用いられません。
その他に「適している」という意味では「見合う(みあう)」「似合う(にあう)」という言い換えもできるでしょう。
会
の字は音読みでは漢音でカイ(合拗音クヮイ)と同時に、呉音のエ(ワ行の ヱ)の読みがあります。
「カイする」では「介する」や「解する」と重なるため 好ましくありません。
一方の「エ」の読みは “会釈”(エシャク)や 一期一会(イチゴイチエ)など かなり限られていますが、これを用いて「えする」と すれば衝突は免れます。旧仮名遣いであるワ行のヱ
を 用いて「ヱする」(wesuru) と することができればさらに確実でしょう。
この語は 一般に「お会いする」として敬語で使われることも多く、その文脈では衝突はありませんので、プレーンな「あう」を使わないことも1つの逃げ道になります。
この“会う”・“合う” は 助詞の「て」が付くと「あって」と なります。「有って」「在って」とも重なるために さらに不便さを増します。
旧仮名遣いであれば「あひて(あいて)」、ウ音便なら「あうて(おうて)」なので関東型標準語の口語に固有の問題ですが、その点「エして」「ガッして」で あれば この問題も同時に回避することが可能になります。
「あう」にはこの他 “遭う” “遇う” “逢う” の文字がありますが、通常の日本語で区別して使う機会は多くありません。特に “遇う” “逢う”の訓読みは常用漢字訓ではないので避けたほうが良い読み方です。これらは文字にいずれも辶
が使われているように、長い道のりの中で 何かに出会うことを示しています。
遭
と遇
には “遭遇する” というそのままの熟語があり、突然出会うというニュアンスを含みますが、これには和語では “出くわす” という表現が合います。その意味では“遭わす” のような訓を当てても良いですが、無理に漢字を用いる必要はありません。
遭
は“遭難”のようにどちらかと言うと危険を示す一方、遇
の字は “配偶者” の 偶
にも似て、これは同族が会う意味合いがあります。“奇遇” のような語があるほかに、あまり良い熟語が多くなく、“遇う” と書くと 悪い出会いという誤解を生む可能性があります。この意味では “連れ会う” とか “寄り会う” のように言い換えたほうが 簡単かもしれません。
逢
だと木の陰に足を踏み出して立ち止まる様子をかたどった字ですが、文字だけ見れば必ずしも良い意味とも言えず、ヘビやクマに会ったのか、武士が敵軍に会ったか、何か良い材木を発見したのか、その点は明らかではありません。なにか物語として妄想が膨らむかもしれませんが、画数が多いくらいで、“会う” より “逢う” のほうが適する局面は あまりないでしょう。