漢字の読み方を学習する上で、1つのヒントとなるのが音の規則性です。
原始的な単純な漢字は、ものの形や位置関係などを表す単純な象形文字ですが、それより後の時代に生まれた漢字は複数の部品を組み合わせて1つの文字を作る合成文字です。
これらには意味と意味とを足し合わせた会意文字と、音を合わせた形声文字という分類があります。意味と音の両方を合わせた会意形声文字という考え方もあります。
“古い” の古
の字は音読みでは「コ」と読みますが、おなじ部を持つ固
故
枯
などの字は、そのまま同じ「コ」の音で読まれます。この時に音を提供する古
の部を音符または声符と呼びます。
このように初めて見た文字であっても、声符からどう読んでいいのかスグに分かるというのは形声字の便利なところです。
ところが居
の字は「キョ」と読まれます。居
の字には “居士”(コジ)のように「コ」の読み方もありますが、“居住” “新居” “隠居” “独居” など「キョ」が優勢です。
また苦
の字は「ク」と読むのが一般的です。これも実は「コ」と読んでも良いのですが、常用漢字で定められた読みには含まれていないため日本語では ほぼ使用されません。
古
の例ではそこまでではないですが、例えば者
などは、都
著
緒
堵
渚
暑
署
などがありますが、ト・ツ・チョ・ショなどに分かれてしまっているため個別に暗記しなければなりません。
「ノウ」と読む能
の字に心
が付いた態
の字は「タイ」になったり罒
が上にある罷
は「ヒ」「ハイ」であったりしますし、「キ」と読む危
に⺼
の付いた脆
の字は「ゼイ」と読むなど、容易に推測できないものは沢山あります。
覚えやすさという観点で言えば、このような変則的な読み方はどちらかに統一された方が良いです。全部で5万とも10万あるとも言われる大量の漢字のうち、およそ9割以上は形声文字であるとされ、音が統一されているのであれば覚える労力は大きく軽減されるからです。
また現在のコンピュータでの漢字入力は、ほとんどの場合はカナ打ちした後に変換をして行ないます。間違った読み方で覚えてしまうと、部首表などから探してコピーしてくるか、手書き入力を使用することになるので一気に効率が悪くなります。手書き入力では脆
を陒
や跪
など似た形状の別の字で書いてしまうミスも起こりえます。
バラバラになった音
このような、もともと1つの音であり、共通の部を持つにもかかわらず、音読みの音がバラバラのものはたくさんあります。理由にはいくつか考えられます。
- 世代を経て発音が廃れた
- 地域ごとに異なる読まれ方が伝わった
- 人為的に誤った変更がされた
音を録音することが可能になったのは蓄音機が生まれた19世紀以降のことで、それ以前の世界では誰か他の人に言い聞かせてマネをさせる以外には音を記録する手段はありませんでした。文字や絵で口の形などを説明することはできても、正確な音は類推するより方法がないわけです。
そんな時代には地域や時間が離れては、正しい発音を伝えられず、差が生じてしまうのは当然です。
現在中国で使用されている漢字でさえも、完全に同一の文字であっても地域によって微妙に異なる音が使用されるものは多くあります。形声により部を同じくする別の字に限りません。
日本への伝来ともなると さらに 海を越えなければならず、異なる時代や地方集団によって断片的に伝わり、結果的に亜流の読み方が定着してしまったものと考えられます。
日本で使用される漢字で、1つの漢字に複数の音が使用されるものは、呉音・漢音・唐音、その他に慣用音と呼ばれる他の漢字からの類推や訛(ナマリ)、方言などいくつかの分類があります。
古
の例で言えば、「ク」が呉音で「コ」が漢音であるとされます。
派生字である苦
の字が「ク」で多く読まれるのは、仏教用語などを中心に「ク」の読み方が広く流布されたためと考えられます。この字は現在の中国の普通話でも古
(gu3)とは違っていて、強い独立性を持っています。
他の字にしてもそうで、ある特定の分野の修学者だけが用いる語は、もとの音から離れて進化します。宗教にかかわらず生活習慣として、海が無いところでは海に関する言葉は使われず、雪の降らない地域では雪の種類や 対策道具の名前も覚える必要がありません。そういったローカルの言葉には独自の調整が行われたり、逆に進化から取り残されたりしてしまうということです。
しかし現代では、誰でも気軽に旅行をしたり、引っ越しなどで生活習慣を変えることも少なくなく、また通信によって別の地域の情報も広く流通します。企業活動や行政の範囲も多岐にわたり、一部でしか話が通じないということはお互いに協力がしづらいということにつながります。
当用漢字
各地で様々に違う読み方がされたりすると不便であるというのは、古い時代においても認識されていたことで、漢字の読みは何度も整理調整をされてきました。
2000年近く前、最も古い漢字字典とされる説文解字(セツモンカイジ)からすでに、文字の構成は部首別にまとめられて、どの字の どの音とが同じであるかという事がヒモづけが始められていました。
しかし時代が変わって文明が発達すると新しい文字が必要になったり、逆に使用されない文字が出てきたり、あるいは地方の部族によって朝廷が倒され入れ替わったり分裂し、そのたびたびで主力言語の発音の一部は入れ替わります。一度行った整理も ほころびが生じ、再整理が繰り返されます。
日本においても現在の標準語は関東の言葉が主になっていますが、かつて江戸時代以前の政権の中心は京都であったり奈良だったり鎌倉だったりと変遷しています。江戸時代から数百年経過した今でも関西と関東で同じ文字の発音が微妙に異なるケースは少なくありませんから、情報通信技術の無かった時代ではもっと極端な差があったでしょう。各時代によって編纂される公用語の発音の解説が その時の勢力によって入れ替わっていても ごく自然と言えます。
その日本で最も大きなインパクトがあったとされるのが第二次世界大戦の敗戦であったと言えます。それまでも幾度となく文字の研究や整理は されていたものの徹底されずにいましたが、日本中が壊滅的な被害を受けたことをきっかけに米英列強の偉大さを知り、全国で改革の必要性が認識されるようになります。
この時に それまでも問題視されていた漢字の整理が急速に進展し、当用漢字の名で全国の漢字使用の基準として用いられることになります。
当用漢字の告示以降、さまざまな文書の記述はその当用漢字の範囲内に収まるように書き換えられ、一部はカナで、一部は新字体で表記されるようになります。また漢字の読み方についても特殊な読みが表外音として教えられなくなり、過去には存在していた発音のいくつかが使用されなくなるきっかけとなりました。
その効果は大きく、義務教育をきちんと終えていれば誰でも社会人として必要な情報は読み書きできる平等な環境になりました。しかし、当用漢字の制定があまりに拙速だったために、検討が不十分で、好ましくない性質を持つ漢字も生まれました。
先に挙げたような当用漢字の表にない「表外音」は消えて、覚えにくくなったものがあったり、略字体によって形から意味がわからない文字や、音が推測できない文字も生まれます。
さらには人名や地名など中心に歴史的遺産を残したい懐古主義的な思想も混じって 色々な批判がゴチャ混ぜの状況になっていきます。
こうして当用漢字は調整改訂を加えられていきますが、やがて普及に伴って徐々に制限の重要性が薄まり、1981年に常用漢字として置き換えられます。
常用漢字表の前書きは次のような文で始まります。
1 この表は,法令,公用文書,新聞,雑誌,放送など,一般の社会生活におい て,現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安を示すものである。
2 この表は,科学,技術,芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼ そうとするものではない。ただし,専門分野の語であっても,一般の社会生活と 密接に関連する語の表記については,この表を参考とすることが望ましい。
当用漢字における「漢字の制限」とか「漢字の範囲」というような表記がなく、専門用語についても「整理すべき」としていたところが「及ぼそうとするものではない」として適用範囲が狭められ、全体として ゆるい運用へと改められています。
慣用音
常用漢字に規定されている漢字の読みのほとんどは呉音と漢音の2種類ですが、中にはこれに分類不能な文字があり、これは慣用音と呼ばれます。
一部分野の専門用語や方言、あるいは単なる読み違いなどが、時代を経て広まり一般語になった読み方です。
“危険” の危
を「キ」と読むのも慣用音とされ、ルーツを問う事が困難な読み方です。中国の発音は昔の日本の呉音や漢音と同じではありませんし、そこを参考にしても意味がありません。
そもそも日本語の「キ」の発音も、全国で多少発音が違っているとされ、録音のない古代において同じだったかどうかもわかりません。つまり「キ」というフリガナ表記がされていたからと言って、同じだと証明することにもなりません。
そうなってくると、どの音が呉音や漢音で、慣用音でないかどうかをいちいち認定することは、もはやあまり重要なことではありません。むしろそれぞれの読み方の根拠がどこにあり、重要度を知ることにあります。
たとえ1000年前のどこかの文書に 漢字の読み方の1つが見つかったにしても、それが一部の方言や専門用語であった可能性もあるわけで、現代におけるマニアックな当て字の類より価値がある発音だとは言い切れないからです。
慣用音と言ってもそれは現代の分類による考え方なのであって、永久にそうとも言えません。呉音漢音だけでなく唐音とか宗音というような分類がなされることもあります。時代が同じでも韓国や台湾やベトナムなどの方言の影響を受けている可能性もあります。
今後の国語の調査や中国韓国など他の地域での調査なども合わせるとまた新しい種類の分類が通説化する可能性も絶対に無いとも言えません。
そうするとむしろ現代の慣用音は “昭和音” とでも名付け、あくまで過渡期の発音であるという位置づけをしたほうが、将来に対して建設的な運用がなされて良い可能性があります。
令和音
発音が変化する理由は様々ですが、他の言葉と区別しやすくするために意図的に変更したものもあるとされます。
先の 者
の例で 署
の音と比べると、者
は呉音漢音 ともに 「シャ」で、署
では「ショ」または「ジョ」になります。署
は和製漢字というわけでもありませんし、現在の中国普通話などを見てもshu3とzhe3で異なっています。
しかこれが仮に同じであればどうでしょう。
武者・芸者・医者・役者・覇者・他者・記者・業者・購読者・申請者など特定の技術者や行動者に対して 者
が末尾につく言葉は無限にあります。署
についても警務署・税務署・消防署などいくらでも作れます。つまり常に同音衝突の可能性があります。
特に者
が「ショ」であると、署
の他に所
とも同じ音になります。役所・詰所・事務所などなど何らかの役目ある場所は「ショ」で終わり、これも無限に熟語を生み出す文字です。
書類の書
とも重なります。遺書・行書・蔵書・楷書・契約書・申請書・申込書 のようにこの字もまたよく末尾に現れて熟語を作ります。
日本語の場合は特に漢字自体に四声のような抑揚が規定されず、50音の発音も乏しいため、こういう時が同音になると余計に面倒になることが考えられるわけです。
しかしよくよく見てみると先の所
という文字は常用漢字表外音の漢音で「ソ」の読み方がある他、⽄
(おの)という部を持っていて、これは近
と同じく「キン」「コン」と読むことができます。つまりこちらの字が過去の歴史で先に改められていれば、少なくとも所
と者
はカナでも区別可能であったわけです。
書
については中国読みだと「シゥウ」(shu1)だったり朝鮮語で「セォ」(서)となることから、過去の仮名遣いでは難しくとも、外来音が増えて理解の広まった現代であれば技術的には発音の区別は可能です。
古い時代においては難しかったことも、現代の技術であればどこが最適であるかは見つけられるはずです。
もしこれまでの慣用音が “昭和音” と呼べるならば、これからは “令和音” の時代です。
まだこの世にタイムマシーンはありませんが、日本の漢字の歴史の二千年を遡り修正することは十分可能な時代がきています。
今の日本は物理的な戦争にこそ負けてはいませんが、世界的な経済戦争にはすでに敗北の兆しが出てきています。毎年何十万人も人口減少する国という状況は、毎年原爆を落とされているにも匹敵するほどの深刻なものです。
やり方を考え直すために受けるショックは もう十分でしょう。