「かわいい」を漢字変換すると、「可愛い」という漢字が出ます。
この漢字がいつから使われているのかは謎ですが、もともと「かわいい」という言葉の語源は「顔映ゆし」であるといいます。
現代語表記ならば「顔が映える」とでもなるでしょうか。
漢字を意識すれば次のように
カヲ ハユシ → カオ・ハエシ → カオ・ハエル → カオガハエル
のように一般的な進化がになるはずですが、その一方で、
カヲ ハユシ → カヲハユイ → カワユイ → カワイイ
という特異な変化が発生したということのようです。
日本語には文字を知らない庶民が口伝として広めた単語も当然にあると考えられます。それらは文字として記録に残っていない可能性があります。
ですから記録上発見されるものが「顔映える」だったとしても、もしかすると「顔良い」、「顔酔い」など別のところにルーツがあるかもしれません。
しかし何にしても「可愛い」は突然変異が過ぎるというものです。
仮に「可○い」という形容詞表現が認められるなら、その名残が他のところにあっても良いはずです。
例えば他に可
がつく熟語は次のようなものがあります。
- 読むことができる→可読
- 見ることができる→可視
- 聴くことができる→可聴
- 変化することがある→可変
- 食べられる→可食
- 燃える→可燃
- 持ち運べる→可搬
- できる→可能
しかし、上に挙げたいずれも い
をつけて形容詞化することはできません。
食べても良いキノコなどを「可食である」と言うことはあっても、「可食い」などと言うことはありません。Googleで検索してもまともな結果は見つかりませんし、だいたい語感として「カショクイ」は食べられなさそうに聞こえます。
また可
も愛
も音読みと言うのも不自然です。
可
にはたとえば「会うべき」を「会う可し」とするようにな「べし」という訓読みがあり、愛
は「愛でる」(めでる)という訓読みがあります。
したがって無理に「可愛い」など言わずとも「愛でる可き」(めでるべき)とか「愛づ可き」(めづべき)とすれば用は足ります。
「食べられる」のパターンで言えば「愛でられる」で十分なのです。
イへの抵抗
漢字の「可愛」という語句は、中国圏でいくらかのケースがあるとされます。
日本語において「食べられる」ものを「可食」と表記できるのでであれば、「可愛」という表記もあっても良いでしょう。
よって「い」を付けない「可愛」は間違ってはいないかもしれません。
「い」を付けないと言うことは、すなわち「可愛である」のように形容動詞の語幹として機能することになります。
つまり
- 可愛 だろ う : 未然形
- 可愛 だっ た : 連用形
- 可愛 で ない : 連用形
- 可愛 に なる : 連用形
- 可愛 だ 。: 終止形
- 可愛 な とき : 連体形
- 可愛 ならば : 仮定形
ということになります。
この活用形は「可能」に置き換えれば全く自然です。
ところが残念ことに「可愛い」は「い」が付いているので日本の教科書では形容詞です。
それなら あきらめて「い」があらゆる単語につくことを、容認する立場で考えてみましょう。
形容詞の活用は、〜かろ、〜かっ/〜く、〜い、〜い、〜けれ です。
- 可愛 かろ う : 未然形
- 可愛 かっ た : 連用形
- 可愛 く ない : 連用形2
- 可愛 い 。: 終止形
- 可愛 い : 連体形
- 可愛 ければ : 仮定形
これは字面は ともかく発音する分には違和感がありません。
では次の例はどうでしょうか。
- 綺麗 かろ う : 未然形
- 綺麗 かっ た : 連用形
- 綺麗 く ない : 連用形2
- 綺麗 い 。: 終止形
- 綺麗 い : 連体形
- 綺麗 ければ : 仮定形
「綺麗」は、音読みで「可愛」と 同じく末尾が「イ」の音で、漢字2文字かつ平仮名で3字(3拍)、元が形容動詞の語幹となる単語、かつ、人や物の外観を肯定的に評する単語です。
「綺麗くない」(キレイくない)という単語はどこかで聞いたことがあるものの、恐らく多くの人は違和感を感じると思います。
「可愛い」が認められるなら、ほとんど同じ「綺麗い」も認めるべきですが、ここに心地の悪さを感じるとしたら理由はなんなのでしょう。
ひとつ理屈があるとすれば、やはり「可愛」は日本語ではなく あくまで中国語なのであって、「カワイい」≠「可愛い」という解釈をすることです。
だいたい「可愛」はそのまま音読みでは「カアイ」なのであって、「カワイ」ではありません。
カヲハユシのルーツに帰れば、この「可愛い」という文字は誤字です。
もし代わりに「顔映い」「顔良い」という文字を当てるなら、ここに綺麗と違って訓読みである、元が大和言葉であるというルールの差が発生します。
同種の気持ち悪さを醸し出す単語としては「〇〇みたいに」を「〇〇みたく」と言う人がいますが、これも「みたい」が元々「見た様に」あるいは「見た体に」というところから来た音読みであるからで、「い」を形容詞活用するのは訓読みに限るとすれば説明がつきます。
可愛い は悪か
漢字変換でも出てきてしまう「可愛い」を今さら「顔映い」とするのは中々簡単ではありません。何より文字があまりにも直接的に過ぎるため、不快に感じる可能性があります。
かわいいものとしては子供や小動物に対しても言いますし、最近ではキモカワイイとかエロカワイイなどという組み合わせもあります。
こういうもは必ずしも顔のことを言ってません。姿・形をベースとしながらも風合い全体を指して表現しています。
そう考えると文字としては「可愛い」の方がより実態に即していると言えそうなのもまた事実です。
ここにバランスを取る方法があるとすれば「カワイイ」あるいは「カワイい」というカタカナこそが正統であるとすることです。
見渡してみればダサいとかヤバいとかショボい、ボロい、キモい、グロい、オモロい、エモい、などなど、ルーツはともかく 文意に沿う適切な漢字表現を持たない形容詞はたくさんあります。
つまり
- 「可愛い」=悪
- 「カワイイ」=正義
として分類することでしょう。
そうすれば 話の中で悪役につけるべき表現がどちらかハッキリします。
愛することができる ということが悪役になるとは皮肉なものです。