日本語では カタカナの組み合わせ方にバランスが悪い部分があり、外来語の表記や その読み方で問題が起こるものがあります。
一番よくあるのは 英語の L
と R
の音の違いです。
たとえば「ライト」というカタカナ語は 綴り(つづり/スペル)で分けると主に3つ、
light(明かり・光、灯火)、 right (右、権利) 、さらに write (書く) と意味の異なる複数の英単語のどれかです。
これを正しく伝えるには 前後に何かの言葉を補足する必要が生じます。
応用で、末尾に-er (“~するもの”の意)がついた 灯火用ライター(lighter)と、記者(writer)はどちらも「ライター」となり区別がつきません。
外来語表記において そろそろ L
とR
を区別するための 記法が存在しても良いはずです。例えば Lなら“ライト”で Rなら”ロァイト”とするなどです。fa fi fu fe fo はファ・フィ・フュ・フェ・フォなのですから、カナをローマ字のように使って ルァ・ルィ・ル・ルェ・ルォ、ロァ・ロィ・ロュ・ロェ・ロォのように書き分けても良いでしょう。
right に 対する write のように “wr” の区別には、“ロワイト” あるいは “ロヮイト” とするなどが 考えられます。これは fight(ファイト)、height(ハイト) に対して white (ホワイト) のように 書くのと同じです。
R
について いくつかの初等向けの英和辞典などは “らイト” など平仮名を混ぜたりしているものがありますが、これは単語レベルで並べる辞書専用の表記で、普通の文章でこれをすると単語区切りが良くわからなくなります。明治時代に使われたとされるラ゚
リ゚
ル゚
レ゚
ロ゚
のような表記もありますが、現在このような表記はされません。
外来語なのだから別に日本人には分ける必要は無いという考えもあるかもしれません。
しかしそれなら なぜ「見る」と「観る」を区別するのでしょう。
日本人の 言葉としては もともと「みる」は ひとつです。「目に入る」とか、「目る」くらいの意味でしかありません。
しかし遥か昔に漢字を輸入した時に、単に目で見て知覚する (see)と、観察する・観賞する (watch) は別であるという意識的な区別も同時に輸入し、その考え方を日本語に取り込んだのです。
“聞く”・“聴く”・“訊く” も同じです。もともとの やまとことばは 「きく」ひとつしか ありません。
古代の日本人は、大陸の進んだ文化を取り入れるために、自国の言葉・概念そのものを変容させたのです。
外来語にしかない区別が日本人に不要とするなら、画数も多くて難しい「観る」は廃止しても良いでしょう。単に「見て知る」「見て歓ぶ(よろこぶ)」などと言えばいいのです。でも、実際には そうなっては いません。
“ライト” は もはや立派な日本語です。“電灯” と同じ位置にいます。
どちらも ある時代に外国から日本に来た言葉を、日本人の手によって いくらか表記と発音を調整したものです。
「日本人ならカタカナではなく漢字の“電灯”を使うべきだ」という考えもありますが、 “電灯” は “伝統” という別の単語と音で衝突しているため、機能面で十分ではありません。元になった中国では電
と伝
(旧字:傳
) では読み方が違い、日本の漢字は簡略化されたものです。漢字は漢字でアップデートしないと使い物にならないのです。
2000年を過ぎて、今や小学校でさえ英語教育が必須になっています。もはや英語の発音の区別は日本国民にとって常識的なものになっているのです。
急速なコンピューター技術の普及もあって、ごく普通の生活環境でもR
とL
の両方の単語を使う場面は 他にもあります。
- ライト: Write / Right / Light
- リード: Read ( 読む ) / Lead (先導する)
- リーダー: Reader (読取り機) / Leader (先導者)
- ロード: Road (道) / Load (読み込む, 荷積み)
- レート: Late (遅延) / Rate (比率, 速度)
- ラップ: Lap (周回) / Rap (刻む) / Wrap (包む, 巻く)
- グロー: Grow (増大, 発展) / Glow (発光)
- プレイ: Play (遊ぶ, 再生する) / Pray (祈る)
- アロー: Allow (許可する) / Arrow (矢, 矢印)
- ラバー: Rubber (ゴム) / Lover (愛人, 恋人)
- ロック: Rock (岩石) / Lock (施錠)
- スロー: Slow (遅い) / Throw (投げる)
- クラウド: Cloud (雲) / Crowd (群衆、人混み)
このように区別しないと誤解が生じる可能性があるものを、同じ表記で ごまかし続けて良いのでしょうか。
語源の喪失
文字の貧困さは、カタカナ語が漢語と比較して 分かりにくい原因のひとつにもなっています。
外国語の発音を完全再現することは現実的には不可能だとしても、もとが別の音を 同じカタカナ表記にするのは 常に損失を伴ないます。
たとえば “メタバース” のような新語が表れた際に、初めて聞いて何を連想するかに関わります。これは meta + (uni)verse の組み合わせからの合成語ですから、元に忠実に表記するなら “メタヴァース” ですが、Twoを「ツー」と書くのと同様に ヴァ
はバ
と簡易的に書くのが一般的です。
“ヴァース” からなら universe, diverse, traverse, converse などの単語との関連が考えられますが、“バース” だと 日本人の日常的な英語の使用環境では、より流通量の多い「ハッピー バースデー」とか「バースデーケーキ」の「バース(birth)」を連想させうるものになります。
単に発音上の区別だけ言えば、“ヴァ” と “バ” の書き分けは 日本では重要ではありません。 しかし 元の意味や微妙なニュアンスを想起させ、詳解度を高めるのには 書き分けたほうが有効です。これはちょうど “こんにちわ” を “こんにちは” と 書き分けるのと同じような意味があると考えられます。
ほかにも “リスキリング” のような単語はもっと怪しくなります。これは re + skill + ing から成り、つまり再技能訓練のことを示す複合語ですが、日本語的な認知によると「リスキ」+「リング」とか「リス」+「キリング」のようにカタカナ音素を基本にして単語を分解されうる構造になっています。
“リング”(ring)や “キリング”(killing) という語はすでにあり、また “リス” は日本語での動物名、“リスキ” は無いにしても “リスク”・“リスキー” は存在するので 認識が そちらに引っ張られる可能性があります。
英語の “Re” という接頭辞が付く単語は ちょうど 漢字の 再
や複
や反
あたりの付く単語に 良く和訳されますが、カタカナ表記の「リ」だとその認識は希薄になります。これは “リスト(List)”、“リミット(Limit)”、“リンク(Link)”、“リキッド(Liquid)”、”リカーショップ(Liquor shop)”、“リチウム(Lithium)”、“リップクリーム(Lip cream)” のようにリ
に対してLi
が対応する単語が 日常に多く存在することから、それらとの明確な違いが 目に飛び込んでこないという点にあります。
もし初見の読み手に 直ちに理解してもらいたいのなら、“Reスキリング” や “レ・スキリング” のほうが いくらか親切です。ここで仮に、先に挙げたようなRとLを区別する表記が認められるなら、たとえば “ロェスキリング” のような書き方ができ、記号や字種の混在を避けらます。
いずれにせよ、何の工夫も無く規則性もないカタカナ表記は、関連語が見えづらく、混乱を与えかねないということです。漢字に部首があるのと同じく 英語などの細かい発音や表記の差異には意味があり、これを捨ててしまうことが「横文字は分かりにくい」と評されるものの正体であって、英単語をそのままアルファベットで書いたものよりも理解が難しい状況があります。今後 似たような単語が輸入されればされるほど状況は悪化していくでしょう。
アイデンティティの損失
カタカナ表記の不足は、実用上の不便の問題だけでなく、精神的なところにも影響を与えます。
日本語には英語の th に当たる文字がありません。
th は たとえば Thunders のような人名、組織名で使用されます。
これを サンダース、サンダーズ、とカタカナで書いた時、Sanders とどちらか わからなくなります。
Katharine (キャサリン) 、Ethan (イーサン) など他にもあります。
外国人は日本でニュースなど日本人向けに名前が載るときはこのように勝手に音を削られてしまいます。
また移民になって日本で生活する場合、通名や何らかの形で必ずカナによる読みの登録を余儀なくされます。
これは多くの日本国内のシステムがアルファベットの使用(ミドルネームなどもそうですが)に対応しておらず、50音での並べ替えなどで不都合が生じるからです。
仮にコンピュータシステムは対応できても、小さい子供は小学校や幼稚園などでは 習っていない漢字など文字は使わず、ひらがなを使うことになっていますから、ふりがなの持つ役割は重要なものです。
こうなると自分のルーツである名前の音を、強制的に破棄されることがあると言うことです。
細かいことかもしれませんが、これは日本人で言えば小野さんと大野さんの違いはどうでも良いとか、 川田さんと河田さんの違いはどうでも良いと言うようなものです。
手紙・メールなどで このような文字の打ち間違いをして送れば、大抵の人は大変に失礼なことだと感じることでしょう。
日本人が相手なら漢字変換違いや、場合によっては旧字体など注意を払って行うことが、なぜか外国人となれば正しくない音を書いていても平気でいられるのはどうしたことでしょう。
これは外国人を差別とは言わないまでも、軽視した態度であるのは明らかです。
カナの再整備
これから先、日本の人口が大幅に減少することを考えると、外国をルーツとする人々の移住は避けては通れない課題です。その一方で現在のカナのルールは外国人の氏名とはどうしても相互運用上の不足があります。
だからといって外国の方に完全に合わせて、全てローマ字にしてしまうというの乱暴な やり方です。これは日本語の固有のルールを著しく破壊するもので、感情的な問題だけでなく運用上の不便も起こします。
たとえば日本語では「山崎(やまざき)」や「山田(やまだ)」など単語途中に来るさ
(sa)はざ
(za)、た
(ta)はだ
(da)に濁音化し、「初田」という人名ははつ
がはっ
に促音化するなど法則がありますが この変形は 並び替えにおいても区別しない ことになっています。もし現行のローマ字を使えば並び順がメチャクチャになり、辞書や名簿など様々なデータベースが非常に使いにくくなることが予想されます。
ローマ字でもこの問題に対処可能な1つの方法としては タ
が「ta」ならダ
は「t”a」と書くとか日本語の濁点同等の機能を持ち込むやり方も考えられますが、これだと 簡単に読めなくなったり 記号が使用できないようなシステムでのために 別の表記法が必要になって 正しい表記が1つに定まらなくなります。
また、ヒンディーや英語圏以外の単語が元になる外来語もあるでしょうから、ローマ字を採用したからと言って問題が解決するとは限りません。
そうするとやはり日本語のカナの側の表記を拡張して、外国語を扱う上でできるだけ多くのパターンに対応可能にした方が問題が小さいと言えるでしょう。
その他の例
英語をカタカナ表記するときに起きる同音衝突は、子音で典型的なR
とL
以外に、S
・D
とTh
、V
とB
、H
とF
とPh
の表記が一緒になってしまうことがあります。
- sing / thing →シング
- pass / path → パス
- some / thumb → サム
- sort / thought → ソート
- base / vase → ベース
- boat / vote → ボート
- hood / food → フード
子音が目立ちやすいですが、母音にも混乱する例があります。
- cup / cop → コップ
- fun / fan → ファン
- run / ran → ラン
- luck / lack / rack → ラック
- suck / sack → サック
“cup” を「コップ」というのはポルトガル語か蘭学のオランダ語の由来で、昭和後期からは「カップ」と呼ぶことのほうが一般的かもしれません。これは マグカップなり、ワールドカップなどの単語から 一般に浸透して上書きされたのかもしれません。しかし 古くに定着して不整合なまま放置されている単語もあります。
たとえば “fun”(楽しみ) と “fan”(扇風機など) は どちらも「ファン」であるいっぽうで、“cut”(切る) は「カット」なのに “cat” は「キャット」と 不整合に変化したりします。もし fan に cat の例を適用するなら「ヒャン」としたほうが整合的です。もう少し現行に沿うなら「フャン」も あり得ます。
仮に a
すなわち /æ/ が「エ」と「ア」の中間であるというのなら、“ケァット” “へァン” 、あるいは “クェァト” “フェァン” などと書くことも 考え得ます。
カナの体系は アイウエオを基本とする5段ですが、字形に規則性がありません。母音を素直に増やすには6段7段と新しい列を増やす必要が生まれますが、そのたびに新しいカナを追加していては覚えるのが難しくなります。
もし多様な母音に対応するのであれば、子音と母音を分解して「ェァ」のような二重母音表記を一般化することのほうが 近道でしょう。