将来推計から考える日本語

止まらない人口減少

先ごろ2019年末の出生数が発表され、90万人を割り込むことが確実となりました。

日本は今、人口減少の時代を迎えており、当分その流れが変わりそうにはありません。

日本の出生届は ほとんど すべての国民が隠さず届け出ますから、嘘の無い確かな数字です。
これによると2000年ころからずっと生まれる子供は100万人ほどで推移し ついに2019年では90万人を下回りました。

仮に何かの政策や状況の変化で、今から出生率が改善したとしても、親となる世代の数が少ない以上は 失われる人口を上回ることは ありません。
このため少なくとも今後 数十年間は日本国日本人の数は減り続けるのです。

予測では2060年には9000万人を割り込むと出ています。
22世紀、つまり2100年にはさらに進んで、5000万人付近へと減少すると予測されています。

図表2-1-1 日本の将来推計人口

国立社会保障・人口問題研究所将来人口推計

日本語の話者は、そのほとんどが一億余りの日本国民に限られています。

このため日本国民が減少するということは、そのまま日本語の使用者が減少するということに他なりません。

問題は、地域差・年代差です。
現在の人口の半分になるとは言え、6000万人という水準は言語を完全に失うほどではなく、消滅危機言語の要件にはまだ当てはまりはしません。

しかし、地域によってはこれよりもはるかに早いスピードで人口が失われる場所があります。移民の多い地域では すでに日本語話者が親にいない子供達が半数を得ている学校のクラスも存在します。

また働かなくなった高齢者は、第三者と交流する機会が少なくなります。労働者はビジネス上 たとえ趣味の合わない相手であれ会話の必要性が生じますが、それがなくなってしまうと、他者への広がりを持たない閉じた言語となるのです。

2100年における65歳以下の日本人の人口の予測値は3700万人ほどです。未成年者を除くと3000万人を少し超えるかどうかというところです。

これを含めて考えた場合、実際に影響力のある日本語を使う日本人は3000万人を下回り、日本語が通用しないエリアが各地に生まれてもおかしくはないのです。

海外での日本語

この問題は国外にも影響を与えるでしょう。

人口が減り続ける限り、国外に対してアピールできることも次第に縮小していくのは必然です。

日本から国外への観光客も減るでしょう。

現在外国の観光地には、日本人客を招き入れるために日本語を話せるホテルや飲食店などのスタッフも多く います。

しかし日本人客が減れば、難しい日本語を学んでも使う機会が少なく、学習の負担が収入に見合わなくなります。

ビジネスについてもそうです。
日本との取り引き量が今後 低下するなら、わざわざ時間を割いて日本語を学ぶメリットは薄れます。

つまり日本人人口の減少という変化は、国外の日本語話者やその候補生に対し、学習意欲を低下させる可能性があるのです。

インターネット上での日本語

世界における言語の利用数は調べるのは簡単ではありませんが、インターネット上を流通する言語についてはある程度自動的に算出することができます。

方法論としては例えば各国語版のWikipediaでのページ数であったり、Facebookのような世界的なSNSでの登録者の数やメッセージ本数、Googleなどで検索されている文字の数、使用しているブラウザーの設定言語などが考えられますが、Internet World Stats のUsers by language というサイトが古く2000年頃から継続的に調査結果を公開しており、この数字は日本語と英語版Wikipedia上に引用されています。

Wikipediaでは編集履歴が公開されており、古くはどう書かれていたかを知ることができますが、ここで日本語についての解説に次のような記述があります。

2013年1月現在、インターネット上の言語使用者数は、英語、中国語、スペイン語に次ぐ第4の人数である

Wikipedia 2013年 https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=日本語&oldid=53903672

この数字は英語版Wikipediaの2013年 Languages used on the Internet とも一致しています。

同方法で さかのぼっていくと、世界で日本語の利用者数と利用割合を確認でき、それによると以下のようになります。

年月利用者数順位利用者率
2004年9月6700万人4位8.4%
2011年3月9900万人4位5.3%
2015年3月1億1400万人6位3.4%
2020年3月1億1800万人8位2.6%

2004年の利用者数は約6700万人で4位 、2013年1月の利用者数は 約9900万人で世界の5%、4位という位置付けでしたが、2020年3月となると数字としては増えていますが割合は3%を割り、順位も8位へと下げています。

日本の人口が減少に転じ始めたのは2008年頃からですが、そこからしばらくの間はインターネット普及率の上昇に伴い利用人口全体としては増加しています。しかし利用者数と順位は年々低下しています。

日本が順位を落としたかわりに上昇しているのは 中国語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、インドネシア/マレーシア語、アラビア語です。

この順位の入れ替わりは、いわゆる途上国と呼ばれていたような地域でのインターネットの普及が進んだということも要因としてあげられます。

しかし何より上位の言語は特定の国に とどまらず 国外でも利用者を増加させて普及しているのに対し、日本語は日本国外における利用が ほとんどないというのが最大の理由でしょう。

全期間で1位である英語は、インターネット上での比率としては2011年において27%から2020年では24%へと 少し下がってはいるものの、利用者数は5億6500万人から11億8650万人と ほぼ倍増しています。

いっぽう同じ期間に日本語は というと2割程度の上昇に とどまっています。最後の5年に至っては5%程度しか伸びていません。この数字は ほぼ日本国の成人人口と同じで、国外での利用が無く、今後人口減少と共に話者を確実に減らすであろうことを示唆しています。

インターネットの世界は、国境を超えて情報が流通する世界です。

もし観光などで日本に自国を知ってもらいたいなら、国外であっても日本語の情報を公開します。ダウンロード可能なコンピュータソフトウェアなども同じことが言えます。それにもかかわらず他言語と比較して伸びに鈍化が見られると言うのは、ひとえに日本語に翻訳して公開しても大して価値がないと認識されているとも考えられます。

同統計は過去10年の各言語の伸びも公開していますが、日本の次の9位のロシア語は同期間に36倍に伸びており、また10位のドイツ語も2.3倍に増加していて、日本語の1.5倍よりも勢いがあります。近い将来に日本語がTOP 10から外れる可能性は十分考えられます。

通常「日本の総人口」統計には日本に住む外国人が含まれています。言語の統計では たいていは日本語の“話者”に含めていますが、インターネット上では自分が得意な言語を自由に選択できるので“話者“からは外れる場合もあると考えられます。

日本語の学習コスト

もともと日本語は学習コストの高い言語です。

コストというのは学習にかかる時間と費用の両方を指します。

ひらがなカタカナを覚えるだけでも(濁点を除いても)100文字あり、字形にほぼ規則性がありません。

文字が多いせいで「ソ」「ン」「シ」「ツ」「リ」、「あ」「お」「め」「ぬ」など形状の相似が他言語より多発しています。

「こんにちわ」ではなく「こんにちは」と書くように、同じ文字に複数の読みがあります。

小さい子供がいる方なら、この似た文字の区別や同音異字に子供が苦労していることを見たりしているのでは無いでしょうか。

これに加えて漢字があり、それも一文字に何通りもの読み方(異音同字語)があったり「見る」「視る」「観る」など一単語に複数の記法があったり、とにかく単に文字を読んだり書いたりするだけに相当な時間をかける必要があります。

日本の大人は、将来のためとは言え、子供に外国なら不要な努力を強要しているとも見えなくもありません。

これでは読解力や表現力を身につける以前の問題です。

もちろんこの問題は外国人にとっても大きな壁です。漢字を知っている中国人は例外として、それ以外の言語話者には日本語は極めて難しい言語です。

これはそのまま購入すべき教材や学校に通う期間・費用に直結しますから、まずその時点で他言語よりも 言語修得者を増やすのには不利な立場にあるのです。

外国人が日本語学校で学ぶのにはその人の経験にもよりますが、数十万の費用がかかると言います。

日本語を学ぼうという意欲のある人の多くは、日本よりも物価が低く日本で働くことで高収入が期待できる国や地域、現在ならベトナムなど東南アジア系の人が多いわけですが、現地の平均年収からすると この金額は数年分の年収になってしまったりしますから、決して無視できたものではありません。

現代では特にインターネットやスマートフォンを活用すると、翻訳ソフトを使って得意な言語に翻訳したり、SNS等で知人に聞くことが容易なため、無理に高い費用を出して学ぶ必要性は さらに低いとも言えます。

移民

移民を受け入れることで日本人の人口を維持しようという向きもあります。

2019年の段階で日本に住む外国人はおよそ280万人で、日本の人口の2%あまりを構成しています。

目的としては不足する労働者の確保ですが、移民の人々は当然自分たちにとって住みやすい場所を選択するでしょう。

これは日本人が外国に移住する際に 日本人向けのサポートが充実した場所を求めて いわゆる 日本人街 を拠点とするのと同じことです。

外国人が外国人街を選ぶことは合理的な選択ですし、排外的な日本人も少なくないという現実を考えると、より安全で良い暮らしを得られる可能性があります。

しかしながら生活の端々で日本語の使用が強制される場所での生活と、自国語で十分生活可能な閉じられた空間にいるのと、同じ速さで言語を習得できるでしょうか。

もし ある特定のエリアに〇〇人が集まり〇〇人街を作り、〇〇語で普通に暮らせるのなら、積極的に日本語を学ぶ理由が失われます。

いつの間にかそこには〇〇国民が集団で移民として集まり、気づけば日本語を習得することも ないまま どんどん人口を増やしていくかもしれません。

ひとたび人数規模が大きくなってしまうと、その後から日本語を学ぶように促すことは さらに困難となり、悪循環を生じます。

言語の壁が大きくなってしまうと、そのことはマナーや生活習慣など、日本人がごく当然としていることを伝えていくことも困難となります。これは当事者間で別のトラブルを引き起こす恐れがあります。

例えば日本人は家の中では靴を脱いで過ごしますが、土足で生活する人たちがいます。「なぜ いけないのか」を誰かが説明しなければ家の貸し借りなどでトラブルが生じることは明らかです。

外国人街は、短期的には楽な解決であったしても、長期的にはコミュニケーションが阻害され、そのエリアとの間で文化・習慣の分断が生じます。ここを放置すると やがて大きな差別や排除運動につながる恐れもあります。

つまりどういう形であれ、国内でコミュニティの分断が生じないようにするには、なるべく早い段階で外国人が 日本語を学びやすい環境を構築し、だれでも外国人に生活上のアドバイスができるようにすることが望ましいと考えられます。

ただしこれには短期的には互いに負担が発生します。
外国人が日本語を覚える負担、また日本人が外国語を教える負担です。

この負担をどうやって小さくしていくかが今後のカギとなるということなのです。

言語を学んでもらうために

日本人にとって日本語が大切で失いたくないものであるなら、外国人に対してもその国の言葉を大切にしたい思いを尊重しなければなりません。

日本に住むのなら日本語が大事だ、外国人は母国語を捨てて日本語だけを使え、というのは傲慢で押し付けがましい態度です。

日本語を用いることによって自身のアイデンティティが損なわれるのであれば、日本語に対して不自由さを感じ、反感を持つことでしょう。

そこを解消するには、日本語にも外国語が持つ様々な機能や特徴を取り込んで、自国言語との共通性、共感できる部分を増やし、不自由のない形へとつくり変えることです。

また外国人に全く意味のわからない、不便な部分については、多少の文化的・伝統的なロスを生じてでも削ぎ落とし、学習コストが小さくなるように努力すべきです。

そうしなければ、いずれ未来、日本語は、
覚えるのが大変で辛い言語、覚えても役に立たない言語として、一部の研究者だけが知る古代の言語として消える運命を迎えることでしょう。

日本語には日本語の固有の発音による良さがあります。

同じ音の繰り返しや、ダジャレなどはその典型でしょう。

たとえば日本語の「しましま」と英語の「stripe」では訳として間違っては いませんが、何か重要なものが抜けた感覚はないでしょうか。
しかし「シマシマ」や「simasima」なら、文字の外見は失うものの、少なくとも音の感覚だけは残ります。これが何を残すのか 選択する ということです。

改訂をしなかったがために言語そのものを失うのと、一部の表現のみを失うのと、どちらが良いのか 考えるべき時が来ているということです。