見掛け倒しの母音

「お」と読む「う」

オ段(おこそとの・・・)につづくは形式的なものです。

たとえば “総理” は「そうり」と書きますが、「ソーリ」のように発音されます。

「そう」「ろう」「ひょう」「みょう」などいずれも「お(オ/o)」の発音が使われるのが通例であり、これをと書くこととなったのは現代仮名遣いと呼ばれる歴史的に比較的新しいものです。

歴史的仮名遣いにおいて、“ろう” は “らふ” だったり “らう” だったりしたものが、字音一致の原則という発音を重視する現代仮名遣いにおいて、オ列長音と呼ばれる規則により形式的に「ウ」のみが残り読みとしては「ォー」と読むように統一されたわけです。

とはいえこの「う」表記は2000年代を現在生きている日本人にとっては十分すぎるほど長く使用されてきました。そのため実際に字面通り「う (ウ/u)」と綴り字発音するひとも居ますし、しても容易に 脳内変換 可能で問題はありません。

それどころか聴く人によっては むしろ国語に強く知的な印象を与えるという評価すらあります。文字が「う」なのに「お」と発音することは、文字を知らず、訛(ナマリ)や崩れと考える人がいるからです。

また たとえば下品な例ですが、「運行する」などの単語は よく「ウンコをする」などと子供が聞きちがえて ふざけるような語句で、これを に続くは発音がであるが、文字はでは無いから別の単語だなどと説明するのは 複雑すぎて理解されません。

このようなケースでは誤解や説明の煩わしさを思うと、文字通り「う」と読むことが好ましいと言えます。

「う」と書きながら、「お」と読まず区別される場面もあります。

  • 小売り → こうり
  • 氷 → こおり
  • 高利 → こうり (ただし読みは 「コオリ」)

“氷” を カナで “こおり” と書くのは、元は「こほり」であったためで、その「ほ」の音が喪失し、「お」と区別ができなくなり、現代仮名遣いでは完全に“こおり”と書いて「こおり」と読むことになりました。この発音は文字通りです。

漢字表記の際に前の字の終音に当たる場合は「う」と書いて  o, オ と読みます(読む傾向が強くなります)。

“小売り” に関しては「ウ」を はっきり発音することで より区別が明らかになります。(間を わずかに空けるか、書くときは英語的ルールであるハイフネーション「小-売り」や 分かち書き「小 売り」を用いればそういう細工は不要ではありますが、発音で対処する方が効率的です。)

ところが最後の「高利」は、発音が不確かです。

おまけに「こうり」という語句には「公理」「功利」「公利」などさらに別の単語もあります。

話し言葉であれば音の抑揚(イントネーション)でまだ区別はできるかもしれませんが、文書入力となるとそれは無意味です。

また話し言葉であってさえも、方言や年齢差、連続語句によっては一致しない可能性があります。

例えば「高利で貸す」の“高利」は「こう」の部分にアクセントが来るとしても「高利貸し」となった場合は「氷菓子」との発音上の違いは明確に言い切れるものではありません。

もちろん前後の文脈から推測可能なことは明らかですが、補足や文脈によるケアが無ければ意味が通じないということは、言語の強さを否定します。

それならば いっそ、混乱する漢字には違うカナを振り直してしまったとしても良いのではないでしょうか。

「え」と読む「い」

“計算”(けいさん)、“冷房”(れいぼう) など、エ段の後に続く「い」はこれも形式的なもので「え(エ/e )」と発音されます。

肯定の返事の「ええ」や、“姉さん”(ねえさん)など、一部の例外を除き「ェエ」と発音する場合には ほとんどの場合「エイ」と書くようになっています。
(規定外ですが“原因”(ゲンイン) “全員”(ゼンイン) を「ゲエイン」「ゼエイン」などと表記と異なる読み方がされる場合があります )

これもオ段+ウのパターンと同じく、あまりにも長い年月に使われてきたことから、発音も字面(じづら)に合わせて(イ/i ) とすることが正しいとされる傾向が強まっています。特に“政治” “例示” “平気” “定期” など、後に続く文字がイ段の場合にはその発音の口型に釣られる形でイ音が生じやすいようです。

原音と一致しているかはともかく「フェイス」「ウェイト」「チェイン」「シェイク」など、いわゆる日本語英語にも「ェイ」の並びはよく登場します。「メール」「レール」「セール」なども エィ/ei/ 音のはずですが、後ろがL(エル)の場合はィが聞き取りにくいせいか「(エ)ー」と表記される方が一般的なようです。(「メッセージ」「ケース」「デート」「ゲーム」など例外もあります。)これらの単語は日本の子供でも一般生活で見聞きする語句です。読み書きの場面ではエイとエーは区別して扱わなければならず、それもあってか音としても区別しなければいけない ものとの認識が できあがっている可能性があります。

古い例を探せば例えば「デート」などは「デイト」との表記もあります。

例えば1960年代の山本リンダ氏の歌、遠藤実氏の作曲の“こまっちゃうナ” では表記も発音も完全に「デイト」です。

外来語、特に英語の「エー」は元の発音はほとんど「エイ」です。

しかし例えば「テーマ」はドイツ語の Thema が元で英語ではありません。この場合は「エー」(あるいは「ェー」)はあっても「エイ」のような途中で母音が変わる表記は不自然です。ドイツ詩人の「ゲーテ (Goethe)」、「テーゼ」などもそうです。

外来語基準の「エー」と「エイ」の区別は置くにせよ、日本語の漢字熟語のカナでの「(え)い」記述は実用の面で すでに ほころびが出ています。

「制度がある」「精度がある」は どちらも名詞ですから衝突します。

「症例がある」「奨励がある」「省令がある」も どれも成立します。

これらの同カナ語については いずれかを「ええ/おお」型に変えれば日本語の強化になるでしょう。

長音記号

「エエ」の代わりに「エー」表記を用いるべきだとの意見もあります。

しかしの長音は漢字熟語用には使用しないほうが将来的にも都合が良い可能性が高いです。

たとえば「西武」「西部」は「せいぶ」ですが、これを「せーぶ」とすると「セーブ(save)」と衝突します。

「景気」「計器」も「cake(ケーキ)」と衝突します。

「英字」「嬰児」は「えいじ」ですが、「age(エージ、エイジ)」と衝突します。

「刑事」「掲示」も「cage(ケージ=鳥かご)」と衝突します。
「えーじ」より「ええじ」とした方が ぶつかりにくいのです。

もちろん文字としてカタカナと ひらがなの差がありますから、見た目の上では問題ありません。しかし漢字変換機能を用いる上では、書き分けられる方が効率は高くなります。

また文字として見たとき、横書きでは長音記号のは 漢数字のと紛らわしく、縦書きではアラビア数字のや英字小文字のlと紛らわしいという問題があります。

ひらがなで よく書かれる単語としては “ていねい” や “きれい” などがありますが、“てーねー” や “きれー” では前後の単語の組み合わせによっては読み間違えるということです。

人名や社名や商品名など固有名詞の場合は、安易に違う文字に書き換えることもできず、実用上の不便が生じることになります。

韻(いん)を踏む

歌や詩の世界では、その発音に周期的なパターンを組み込むことで、リズム感を演出して心地よい感覚を与える「いんを踏む」というテクニックがあります。

たとえば fake (フェイク) と take (テイク) は 母音部分が /eɪ/ で共通であり、これをリズムに合わせて同じ拍の位置に置いたりします。

この韻というものは純粋な日本語では大した意味はありません。 古い日本語で5・7・5の和歌などに見られるように主に拍と強弱高低や、カナ1文字単位の語感が重視されます。

対して 外国語ではこの韻のもつ重要性が違っています。と いうのも、日本語のように「あいうえお」の5つではなく その中間に当たるようなものや二重母音というような途中変化を持つものなど多様な母音があり、その組み合わせや位置関係によってアクセントに違いが起こるからです。

を除く全ての文字に母音が組み込まれる日本語と違って、他の言語では子音が連続することもあります。たとえば tackle (タックル) のような語ではの間には発声が伴いません。発声が無い、ということは、そこに音の高低をつけることができません。その結果残された母音に注目がいくこともあります。

日本語の漢字も元を辿ると中国がルーツにあり、その発音は日本語の漢字よりも複雑な体系を持ちます。漢詩にも他の言語と同じく、発声の周期を揃える工夫が見られます。

特に声調の四声(漢字ごとに定められた固有のアクセント4種)の問題があるため、音の高低の流れがどの文字をどこに置くかで自動的に決まる面があります。

歴史的仮名遣いというものも それに沿った意味があるとされます。漢詩を学ぶことが教養の1つとされてきた昔の日本では、漢詩を作るのに重要な発声の微妙な違いを、カナを書き分けたり、時には変体仮名を用いるなど、その仕組みを日本語にも再現しようと工夫してきたわけです。

“エイ” と書いて「ええ」と読み、「えい」とはいっさい読まないとする昭和日本語の現代かなづかいは、この韻というものを考えるときには複雑な問題を起こします。

make を カタカナで書いて “メイク” としたときの“イ”が「イ」と読むのに、漢字で書く“名句” を “めいく” と仮名をふり「めえく」と発音するのだとすると、文字に沿っているのはカタカナ語の方で、もはや どちらが日本語だか わかりません。

“エイ”と書いて 「エエ」と発音するというような妙な解釈はせず、素直に文字通り読むという解釈にした方が わかりやすく、また整合性も取れます。

take と cake はそれぞれカタカナでは “テイク”と“ケーキ”と記されます。しかし英語での発音は /teɪk//keɪk/ つまり“テイク” と “ケイク” となり、同じ母音のパターンをしています。

文字は発音を表す一方で、発音もまた文字に影響されます。
読書などで知らない単語に出会ったとき、文字を見て発音を想像するからです。

なんとなく皆がそう書くからと言って、前例主義的に慣用的な表記を続けていれば、それを見た別の人がさらに真似をして、いつの間にか間違った書き方が定着し後戻りが難しくなります。使用例が多くなればなるほど書き換える手間が増えるからです。

間違った書き方が増えると今度はそれを見た別の人が、文字の通りに発音し、正しい音が失われていきます。ちょうど Twitterを“ツイッター”と新聞社が書いているうちにプロのアナウンサーまでもが「ツ」と「トゥ」の区別ができなくなってしまうようなものです。

“エイ”と“エエ”の違いは、日本語の世界観ではあくまで漢字変換の要請によるところのみですが、的確な区別をして正しくトレーニングができれば、日本語の音を外国人の耳にも美しく聴こえるものに進化させることになると考えられます。